水平掘削とフラッキングの組み合わせによる生産方法を使えば、他のシェール層でもコスト競争力のある生産が可能なことから、2000年代後半に北東部のマーセラスシェール層などでの大規模な開発が始まり、減少を続けていた米国の天然ガスと原油生産量は上昇に転じます。
静かだったシェールの地域は狂乱状態になりました。
狂乱のシェール革命
バッケンシェール層は、米国北部モンタナ州とノースダコタ州にまたがり賦存しています(図-2)。モンタナ州は日本より少し広い面積を持ちますが、人口は約108万人。バッファローが人より多いとの話もあるほどです。ノースダコタ州はシェール革命まで米国で唯一人口が減少していた州でした。
人口密度が低いので車の通行量も極端に少なく、70年代半ばのオイルショック後までモンタナ州内の州間道路(州を跨ぐ高速道路)には制限速度がありませんでした。90年代後半にも制限速度が一時撤廃されたことがあります。
制限速度が設定されていた時も反則金(実際には単なる支払いです。その場で警官に支払います)は5ドル、750円程度でした。
筆者も一度だけ5ドルの支払いに対するレシートをもらったことがあります。今の州内州間道路の制限速度は時速80マイル(128キロメートル)です。
人が少ない地域でシェールガスの本格採掘が始まった2000年代後半から、バッケンシェール層の町は狂乱状態に陥ります。中心地ウィリストンの失業率は1%を下回り、スーパーマーケット、ファストフード店のアルバイトの時給が20 ドル(約3000円)を超えました。ファストフード店はアルバイト採用時に数百ドルと家電製品を提供しました。
掘削用に水を運ぶトラックの運転手の年収は10万ドル(1500万円)を上回りました。仕事を求め全米から人が殺到しました。仕事はありましたが、ただ、住むところはありませんでした。
小さな町のモーテルの部屋代がニューヨークのホテル並みになり、アパートの家賃がニューヨーク、シリコンバレーを抜き全米一の高さになりました。町中には車が溢れ、スーパーの駐車場にはキャンピングカー、トレーラーハウスが停め置かれるようになりました。
治安は急速に悪化し、犯罪が多発するようになりました。多くの行方不明者が出ましたが、その中のかなりの人は金目当てに殺されたのではないかと地元紙は伝えました。町を離れれば埋める場所はいっぱいあり、死体は見つからないとも書かれました。
世界一の天然ガス、原油生産国に
シェール革命は、米国の天然ガスと原油の生産量を急速に増やしました。米国の天然ガス生産量はロシアを、原油生産量はサウジアラビアを抜きどちらも世界一の産出量になりました(図-3および図-4)。