石炭は元々自給率100%を超えていましたので、米国はロシアと並び化石燃料をすべて自給可能な国になりました。
化石燃料の輸出が可能になりましたが、石油の輸入は相変わらず続いています。米国の製油所が在来油田から産出される重質油で設計されているため、軽質油のシェールオイルを輸出し、ベネズエラなどから重質油を輸入する必要があるためです。
水平掘削とフラッキングの組み合わせは、採掘コストを引き下げました。シェール革命が本格化した2008年を境に天然ガス価格は大きく下落しました(図-5)。
第二次世界大戦後長い間、国内に豊富に賦存しコストが安い石炭を利用する火力発電所が米国の発電量の約50%を担っていましたが、天然ガス価格が大きく下落したため、炭鉱から離れた発電所を中心に燃料を石炭から天然ガスに切り替える動きが顕著になりました。
石炭は固体ゆえに輸送費が嵩みます。炭鉱から距離のある発電所では、パイプラインで運ばれてくるシェールガスの利用により燃料費が安くなったのです。
05年に天然ガスによる発電量のシェアは19%でしたが、16年に34%になり、歴史上初めて天然ガスによる発電量が石炭火力を上回りました。22年には石炭火力のシェア20%に対し天然ガスのシェアは40%になりました。
主要国の中で最も安い米国の電力価格の競争力の維持にシェールガスは大きく寄与しています。
世界3位のLNG輸出国に
シェール革命前には、米国内の天然ガス産出量の減少が予想されたため、1990年代から2000年代にかけ液化天然ガス(LNG)を輸入する必要があるとの見方が広まりました。
ニューイングランド地方にはガス田がなくパイプライン網も十分ではなかったため、マサチューセッツ州に小規模な受け入れターミナルが設けられLNGが輸入されていました。将来の天然ガス需要増に応えるため大規模LNG輸入ターミナルが必要と考えられました。
LNG輸入にいち早く注目した米国のシェニエール・エナジーは、ルイジアナ州サビンパスにLNG輸入基地を建設します。
しかし、90年代半ばから成長を続けていたLNG輸入量は、06年にピークを打ち減少に転じます。シェールガスの生産が本格化したためです。
シェールガス生産量が大きく伸びる中で、シェニエール・エナジーは輸入基地を輸出基地に転換することを決断し、16年5月に輸出基地の商業運転を開始しました。拡張を行い現在年間輸出能力約3500万トンの米国最大のLNG輸出ターミナルになっています。
他社も輸出ターミナルを建設し、現在では7基地、年間の輸出能力は約1億1000万トンになりました。