2024年11月22日(金)

日本人なら知っておきたい近現代史の焦点

2023年12月28日

 サハリン北部で油田の開発を担うソ連企業のサハリンネフチは、ソ連政府から好待遇を受けた。一方、日本側の北樺太石油会社には、「いやがらせ」が繰り返される。ソ連政府は、時として日本人労働者の入国を許可しない。ソ連人労働者を雇うのにも、毎年賃上げを要求する。現場で必要な資材や食糧の調達にも協力しない。日本人の社員がスパイ容疑をかけられて、投獄される事件も起きた。

 日ソ関係の悪化に伴い、北樺太石油会社の事業は減少してゆく。しかし長引く日中戦争で、日本の軍部が求める石油は増える一方だったから、日本側は事業の継続にしがみついた。

 事業が暗礁に乗り上げる中、41年4月にモスクワで、ソ連の最高指導者スターリンと会談した松岡洋右外相は、サハリン北部の領土全体を日本が買収したいと、大胆な提案をする。しかしスターリンは、サハリン北部を売却すれば、ソ連は太平洋へ出入りするための海峡が塞がれると、応じなかった。

 逆にスターリンは、サハリン北部での利権解消を松岡に迫る。日独伊ソの同盟をつくって、こじれている対米交渉での後ろ盾にしたい松岡は、日ソ中立条約を結んで日本へ凱旋したい。そこで松岡は、条約を結ぶ際、利権の整理も約束する。なるべく利権をキープしておきたい日本は、具体的な交渉を先延ばしにしたが、結局44年3月に、事業はソ連側へ安価で譲渡された。

 だが、不幸な形で日本人は戻ってくる。45年8月8日、ソ連は日本に宣戦布告し、サハリン島の南部もソ連軍に占領された。スターリンは同年8月23日、5000人の日本人捕虜をサハリンネフチと石油関連施設に送るよう命じる。サハリン北部のオハの収容所には、同年10月に1985人の捕虜が送りこまれた。49年の帰国まで、彼らには油田関連の重労働が課された。

「サハリン1・2」でも
歴史を繰り返すのか?

 21世紀に入り、日本はサハリン島の事業に本格的に再参入した。石油と天然ガスを共同開発する「サハリン1」には、米エクソンモービルや、ロシアやインドの国営石油会社が加わった。日本からはサハリン石油ガス開発が参加する。同社には伊藤忠商事や丸紅も出資しているが、筆頭株主は経済産業省だ。「サハリン2」には、三井物産や三菱商事、英ロイヤルダッチシェルが出資した。代替調達先が少ない液化天然ガス(LNG)の入手先として、サハリン2は貴重な存在だ。

 しかしウクライナ侵攻勃発後、米英の企業は撤退した。ロシア政府も事業の再編を突如発表し、日本の政府と企業は、戸惑いつつも再編後の新会社への参加を決めた。

 優先すべきは、価値観を共有する国々との連携か、資源の獲得か。ウクライナ侵攻は、日本が対露外交で何を重視するのか、問いを突きつけている。しかし国民的な議論は深まらず、経済制裁の包囲網を崩したいロシアの狙い通り、日本はサハリンでの事業継続を選んだ。これまでの投資を惜しみ、惰性で投資を続けてしまう「サンクコストの呪縛」に日本は陥っていないか。戦間期から学ぶべきことは多い。

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