日本政府は現在、ロシアに経済制裁を科している。ウクライナ侵攻を断固認めない姿勢を示すためだ。しかし、北海道のすぐ北に位置するサハリン島で、石油や天然ガスをロシアと共同開発するプロジェクトは継続を決めた。日本には、エネルギー資源に乏しいというアキレス腱がある。そのため政府は、ロシアとは政治的に対立しても、経済的な案件によっては協力する「政経分離(デカップリング)」に希望を託している。
一方で産出国にとって、資源は外交の道具だ。資源外交では、最優先されるのは利益よりも国益である。「持たざる国」日本はこの点について理解が及ばず、「政経分離」は可能と信じ、足をすくわれてきた歴史もある。1910~30年代の戦間期も、エネルギー資源獲得に日本外交は振り回された。その舞台は、現代と同じサハリン島だ。第一次世界大戦(14〜18年)中に本格化した、石炭から石油へのエネルギー革命から話を始めよう。
「石油の一滴は、血の一滴に値する」
第一次世界大戦中、フランスのクレマンソー首相は、米国のウィルソン大統領へこう伝えたという。原文のニュアンスはやや異なる。クレマンソーはウィルソンへの書簡で、「大型トラック、トラクター付きの野戦砲、航空機に必要なガソリンの不足」に悩まされたくないとし、米国が、「血と同じくらい必要なガソリンを大量に供給」するよう求めた。クレマンソーは「ガソリンが不足すれば、わが軍は突然麻痺し、容認できない平和に追い込まれる」と、降伏すら示唆した。石油なしでは戦争ができない時代の到来を示すエピソードである。
さかのぼると、日露戦争(04〜05年)での主役は石炭だった。勝敗を決定づけた日本海海戦では、日露の軍艦は、石炭を燃やして動力にした。
しかし、英国海軍は12年から石油への燃料の転換を図る。第一次世界大戦では、自動車が兵士や物資の輸送で大活躍した。同じくガソリンを燃料とする航空機や戦車も、新兵器として戦場に現れる。石油が戦争に不可欠な戦略物資になり、欧米は、大戦後も自国や植民地で油田の探査に執念を燃やした。しかし日本は、大戦で登場した新兵器を導入したものの、国内の油田だけでは需要を賄えなかった。