友人は続けた。
「ウクライナは今、ソ連時代の記念碑をどんどん取り壊している。ロシア正教の教会すら破壊しようとしている。これは、常軌を逸した行為だ。なぜ、第二次世界大戦で、ロシア人がウクライナにまで行って戦ったのか。これは、ユーゴスラビアが置かれた状況と似ている」
ユーゴスラビアが置かれた状況というのは、おそらく、今日の旧ユーゴスラビア構成国の多くで、ナチス・ドイツから同地を解放したチトーのユーゴスラビア時代が否定的にとらえられ、その時代の記念碑などの遺棄・解体が進んでいることを指していると思われる。
ステパン・バンデラが「ウクライナ=ナチス」論の「根拠」?
私はあくまでも、記者として彼らの意見を聞くためにここにいた。自分の意見を言うためではない。戦争当事国に行って、一般市民に対して〝敵国〟の立場に立つような発言をすることは、あまりにも無意味だからだ。
ただ、ウクライナ国民が置かれた惨状について彼がどう思うのか、これだけは友人として聞いておきたかった。
私は、「ひとつだけ教えてほしい」と言って、尋ねた。「東部でどういう経緯があるにせよ、ロシア軍が全面侵攻したことで、1000万人のウクライナ人が避難民になって故郷を追われた。彼らの多くは財産を失い、仕事を失い、家族も失った。これは、正当化できるのかい?」
友人は一瞬、険しい表情を見せたが、すぐに話を続けた。「いや、戦争前から、すでに膨大な数のウクライナ人がロシアに逃げてきていて、ロシアは彼らを受け入れていた。そのような行いがなければ、事態ははるかに悪化していたはずだ」
彼は続けた。「ウクライナをロシアと完全に離別させることは簡単なことだ。ウクライナに、ナショナリストの部隊を作ればいいだけだ。それは、簡単なことだ。ステパン・バンデラがやっていたことだからだ」
ステパン・バンデラ(1909~59年)とは、第二次世界大戦期間中から1950年代まで、対ソ連のパルチザン闘争を行った「ウクライナ蜂起軍」の指導者のことだ。バンデラは一時期、ナチス・ドイツと協力関係にあったとされる一方、現在のウクライナではウクライナの独立を目指した人物として再評価を受けている。ロシア政府は、このバンデラを引き合いに、「ウクライナの現政権はナチズム」との主張を繰り返している。
友人はここで、私にスマートフォンの動画を見せた。ウクライナ人の子供たちが、バンデラを賛美する歌を歌っている内容だと説明を受けた。ただ彼の説明は、どうしても結論ありきの、極端な内容だと感じられてならなかった。
時間は瞬く間に過ぎた。用意された食事にも、ほとんど手を付けられなかった。私は別れ際に「ふたりはどこで知り合ったんだい」と聞くと、「いつも行っている、ロシア正教の教会で出会ったんだよ」と友人は答えた。
友人が、熱心なロシア正教の信者であることは知っていたが、ふたりの関係は、どこかいびつに感じられてならなかった。率直に言って友人は、この男性に洗脳されているようにすら感じられた。
ロシアの教会は、特務機関員の活動拠点として利用されていると、専門家から言われたことがある。男性はやはり、特務機関員だったのではないか。そのような疑問が拭えなかった。