2024年5月20日(月)

プーチンのロシア

2024年3月4日

 ただいずれにせよ、ロシアのウクライナ侵攻は、私と30年来の友人との間に、埋め難い溝を生みだしたことは間違いなかった。

「ウクライナはナチス」と信じる背景は?
政権が活用する独ソ戦の記憶

 ウクライナを率いるゼレンスキー大統領は、ユダヤ系である。ナチス・ドイツのホロコーストに最も苦しめられたユダヤ系をリーダーとする国とその国民を〝ナチス〟と呼び、さらに全面侵攻を仕掛けるプーチン大統領らロシア指導部の言動は、国際社会ではとても受け入れられるものではない。

 ウクライナのNGO「ディテクター・メディア」のクセーニア・イリュークによれば、ウクライナを「ナチス」と批判するロシア国内向けの論理は国際社会には十分には受け入れられなかったため、ロシア政府はその後、ウクライナを「ナチス」よりも、「テロリスト」と非難する戦術に切り替えているという。論拠として薄弱であることを、ロシア当局が暗に認めている格好だ。

 ただ、それでもこの主張が一定程度、ロシア国内、またウクライナ東部で機能していた事実を見逃すことはできない。

 ウクライナ人がナチス──という論法をロシアが展開した背景には、何があるのか。

モスクワ市内のそこかしこには、対独戦勝記念日を祝うポスターが掲げられていた(筆者撮影)

 それは、前述したバンデラのような人物がウクライナ西部を中心に高く評価されている点や、そのような現実がウクライナ東西の対立を引き起こしている実態がある、といったウクライナ国内の事情だけではない。ロシア国内では、第二次世界大戦でのナチス・ドイツとの戦いの悲惨な記憶が繰り返し強調され、〝ナチス〟という言葉に国民の多くが敏感に反応するほど意識が掻き立てられている。その心理を、ロシア当局は巧みに突いている。

 第二次世界大戦でナチス・ドイツと戦った旧ソ連は軍人、民間人を合わせて約2600万人もの死者を出したとされる。ロシアのあらゆる家庭において、第二次世界大戦により自分の祖先やその周辺で家族や友人を失っている。一方でロシア政府は、そのナチスと悲惨な戦争を行い、かつ勝利したという記憶を、国威発揚の手段として最大限に利用し続けている。

 その最たるものが5月9日の「戦勝記念日」だ。ソ連がナチス・ドイツに勝利したことを祝う日で、ロシアで最も重要な祝日として位置付けられる。5月9日には、恒例の大規模軍事パレードがモスクワ市内で行われ、赤の広場ではプーチン大統領ら政権幹部らが一堂に出席して記念式典が行われる。2005年の戦勝60周年では、アメリカや日本、ヨーロッパ各国の首脳が一堂に集まるなど、国際的な行事としても認知されていた。

 5月9日にはさらに、独ソ戦で犠牲になった家族や親類の写真を掲げて住民が行進する「不滅の連隊」と呼ばれる行事も実施される。この行事には、近年はプーチン大統領も一般市民とともに参加するようになっており、政権がいかに重要な行事ととらえていたかがわかる。学校などでも、このナチス・ドイツに対する戦勝の記憶は繰り返し教えられている。

 そのようなロシア人にとり、〝ナチス〟という言葉がウクライナを否定的にとらえる上でいかに重要な役割を担うかは想像に難くない。ナチスという言葉を全面に出すロシアの戦略は、開戦当初は特に、多くのロシア国民を反ウクライナに仕向けるのに十分な役割を果たした。

[第5回【プーチン登場前夜】氷点下20度の中で食べ物や家財道具を売って糊口をしのぐ老人たち 道端には息絶えた人々も ソ連崩壊後のロシアを襲った地獄の90年代​(3月5日公開)へ続く]

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<第2回>【戦時下のモスクワ】国外脱出でしぼむ若者の声 開戦4カ月で市内の反戦ムードが沈静化した理由 根強い中高年層の「戦争賛成、プーチン支持」の現実
<第3回>なぜロシア人は「ウクライナはナチス」と信じるのか? モスクワで見た、プーチン政権の「歴史」と「戦争」の歪んだ教育……ソ連の栄光を学ばせられる小学生
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