2024年5月18日(土)

偉人の愛した一室

2024年4月21日

モダニズムの大家
二人が融合した一室

 増築された建物は高床式の平屋建てで、画室と、隣接して書庫が備わっている。画室の南側全面には3枚の大障子が立てられ、いつでも明るい光を取り込めるよう、特注の雪見障子にしている。その先は、一段下がったベランダ造りの空間になっているが、そこは吉田五十八、雨戸、網戸、ガラス戸の3重の窓は、すべて壁に収納される引き込み式となっているから、晴れた日にすべて開け放つと、まるで庭に出ているような開放感を味わえる。まさに華麗なる吉田モダニズムの世界である。

読書家の蓬春のために画室と共に新設された書庫には美術書を中心とした書籍が丁寧に保管されている(WEDGE以下同)
天然の鉱石を粉末状に砕いた顔料に膠を混ぜた岩絵の具。画室の棚には顔料の瓶がずらっと並ぶ
当時のままの状態で残された画材が整然と並んでおり、蓬春の几帳面な性格が伝わってくる

 画室はいまも蓬春が使用したままの状態が保たれる。画机は、日本画を趣味にしていた香淳皇后と同じ型のもの。日本画に欠かせない膠を溶かすための火鉢、絵筆、絵皿、文具の類がそのまま残されている。蓬春の額装を担った岡村多聞堂が作った隠し扉を開くと、中に、ぎっしりと岩絵の具の瓶が詰まっていた。

 さらには、画室に置かれたソファと机、ベランダにあるテーブルセット、すべてが吉田によってデザインされたものなのだ。ベランダの椅子は竹材が用いられる一方、デザインはモダンで、竹の芯には鉄筋が仕込まれるといった具合で、細部にわたる工夫が心憎い。そこにはモダニズムを志向した2人の心中が垣間見えるようだ。アトリエの完成に続き、2人は居室や玄関ほかの改築に取り掛かり、いまに残される近代数寄屋造りの名建築が完成した。

 蓬春は伝統にあえて決別するかのような画風に区切りをつけると、昭和30年代のリアリズムへの傾斜を経て、日本画と西洋画のさらなる融合へと立ち返ってゆく。一時は否定していた〈花鳥画〉を新たな視点で取り込みつつも、洋画の洗練された構図は守ろうとする晩年の画風は、蓬春が目指した新たな日本画の到達点ともいえる。皇居宮殿正殿松の間の「楓」はその代表作といえよう。

 画室の前庭は豊富な木々や花々が美しい。以前はたくさん植えられていたというミモザが一本、可憐な花をつけていた。その先はかつて、海がよく見渡せたという。明澄なる陽光に輝く風景は、新しい日本画のために精進し続けた蓬春の人生そのものでもある。

   
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Wedge 2024年5月号より
平成全史
平成全史

小誌の創刊は、時代が昭和から平成となった直後の1989年4月20日である。平成時代は、政治の劣化や経済の停滞など、多くの「宿題」を残した。人々の記憶から忘れ去られないようにするには、正確な「記録」が必要だ。2号連続で「平成全史」を特集する。


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