モダニズムの大家
二人が融合した一室
増築された建物は高床式の平屋建てで、画室と、隣接して書庫が備わっている。画室の南側全面には3枚の大障子が立てられ、いつでも明るい光を取り込めるよう、特注の雪見障子にしている。その先は、一段下がったベランダ造りの空間になっているが、そこは吉田五十八、雨戸、網戸、ガラス戸の3重の窓は、すべて壁に収納される引き込み式となっているから、晴れた日にすべて開け放つと、まるで庭に出ているような開放感を味わえる。まさに華麗なる吉田モダニズムの世界である。
画室はいまも蓬春が使用したままの状態が保たれる。画机は、日本画を趣味にしていた香淳皇后と同じ型のもの。日本画に欠かせない膠を溶かすための火鉢、絵筆、絵皿、文具の類がそのまま残されている。蓬春の額装を担った岡村多聞堂が作った隠し扉を開くと、中に、ぎっしりと岩絵の具の瓶が詰まっていた。
さらには、画室に置かれたソファと机、ベランダにあるテーブルセット、すべてが吉田によってデザインされたものなのだ。ベランダの椅子は竹材が用いられる一方、デザインはモダンで、竹の芯には鉄筋が仕込まれるといった具合で、細部にわたる工夫が心憎い。そこにはモダニズムを志向した2人の心中が垣間見えるようだ。アトリエの完成に続き、2人は居室や玄関ほかの改築に取り掛かり、いまに残される近代数寄屋造りの名建築が完成した。
蓬春は伝統にあえて決別するかのような画風に区切りをつけると、昭和30年代のリアリズムへの傾斜を経て、日本画と西洋画のさらなる融合へと立ち返ってゆく。一時は否定していた〈花鳥画〉を新たな視点で取り込みつつも、洋画の洗練された構図は守ろうとする晩年の画風は、蓬春が目指した新たな日本画の到達点ともいえる。皇居宮殿正殿松の間の「楓」はその代表作といえよう。
画室の前庭は豊富な木々や花々が美しい。以前はたくさん植えられていたというミモザが一本、可憐な花をつけていた。その先はかつて、海がよく見渡せたという。明澄なる陽光に輝く風景は、新しい日本画のために精進し続けた蓬春の人生そのものでもある。