2024年12月6日(金)

偉人の愛した一室

2024年2月25日

 戦前、戦後を問わず、国賓待遇の要人が関西を遊覧する際、必ず宿泊するホテルがあった。奈良は興福寺に近接する高台に建つ「奈良ホテル」である。王族や大統領はじめ、アインシュタインからヘレン・ケラーまでその名が見えるのは、理由があった。

春日大社にもほど近い若草山のふもと、大和の街並みにも溶け込む和洋折衷の美しい佇まいが宿泊客を出迎える。明治の時代に贅を尽くして建てられた奈良ホテルにはその歴史にふさわしい優雅で厳かな時間が流れている(NARA HOTEL)写真を拡大

 20世紀初頭、日露戦争に勝利し、一躍、国際社会での存在感を高めた日本に向けて世界から要人がやって来る。それを迎える必要に迫られた政府は、国内各地に国際基準のホテルの建設を呼び掛けた。関西でこれに応じたのが都ホテルを創業した西村仁兵衛であり、鹿鳴館に倍する費用を投じて豪華ホテルの建設を目指した。設計は辰野金吾、言わずと知れた西洋建築の第一人者は、奈良の景観への配慮を求められ、和洋折衷を選択する。1909(明治42)年に開業にこぎつけたものの、やがて経営に行き詰まると、鉄道院がこれを引き継ぐ。古都の文化を楽しむ賓客たちの迎賓館として、広く用いられるようになっていったのだ。

創設期に使われていたレジスターブックが今も残っている。署名はほとんどが外国人によるものだ(NARA HOTEL) 写真を拡大

 むろん、国内の要人も例外ではなかった。乃木希典、高橋是清、犬養毅といった軍人、政治家の他、経済人や文化人からも贔屓とされ、谷崎潤一郎や三島由紀夫は、その主要作品に登場させている。中でも、西欧の香り漂うこの場所を人一倍愛したのは堀辰雄、あの『風立ちぬ』の著者であった。

 この名作が刊行されたのは38(昭和13)年である。結核を患う新妻を信州の療養所に入れて看護する夫、その眼を通し、移りゆく季節の中、互いを思う心情を濃やかに描き、妻が徐々に衰えゆく日々を静かな筆致で追ってゆく。命のはかなさ、美しさを、時間の移ろいの中に捉えようとする野心的な作品は高い評価を受け、堀は一躍、人気作家となった。ジブリアニメ「風立ちぬ」の原作にもなったので、知る人も多いだろう。

 04(明治37)年生まれの堀は、第一高校在学中から文学の道を志し、同時期の多くの文学青年同様、西欧の文学を貪欲に吸収してゆく。しかし、胸を病んで休学を余儀なくされ、東京帝国大学在学中にも肋膜炎を患って死に瀕するなど、生涯にわたって病に苦しめられる。それでも『美しい村』や『麦わら帽子』といった名作を世に問うてゆく堀は、33(昭和8)年、好んで訪れた軽井沢で病める少女と出会う。翌年、この少女、矢野綾子と婚約し、信州の療養所で看護にあたるものの、35年の暮れ、綾子を失ってしまう。

 失意の中でも、堀は西欧の新しい文学潮流を果敢に取り入れ、たゆまぬ姿勢で文学の最先端を歩み続ける。『風立ちぬ』は20世紀文学の幕を開けたプルーストの影響を受けて書かれたものとされ、堀が最初に奈良ホテルを訪れたのは刊行の3年後、41(昭和16)年のことであった。


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