〝国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。〟
名作『雪国』の冒頭は、かつて、誰でも一度は耳にしたことのある有名な一節であった。いや、すべての小説の中で、もっとも人口に膾炙したと言っていい。
川端康成は、東京帝国大学在学中に菊池寛に認められ、卒業した1924(大正13)年、横光利一らと『文藝時代』を創刊する。関東大震災による社会の喪失感の中、新しい表現を求める運動は「新感覚派」と呼ばれて大きな注目を浴びた。この文芸誌に発表されたのが、青年の心理の陰影を瑞々しい筆致で描いた『伊豆の踊子』であり、初期の代表作となった。29(昭和4)年には、モダニズム文学の傑作『浅草紅団』を発表してベストセラーにもなった。
だが、軍靴の足音が高くなると、モダニズムも、世界的な潮流だったプロレタリア運動も、国家主義によって退潮に追い込まれてゆく。川端もまた『禽獣』など、虚無的な心性が濃い作品が多くなっていった。そんな中、37(昭和12)年に刊行されたのが『雪国』なのであった。
久方ぶりにこの名作を開いてみる。性的な気配が色濃いことに驚きつつも、執拗なまでの観察眼によって、人間の心理や性愛感覚が、微に入り細を穿って丸裸にされてゆくことに感嘆する。酔った女主人公を描く場面は、こんな表現で締められる。
〝それはもうまぎれもなく女の裸の心が自分の男を呼ぶ声であった。〟
人間をきめ細かに描き出すには、それを取り巻く自然の描写を抜きにはなし得ない。高等遊民の主人公と温泉場の芸者駒子の儚い恋は、雪国の厳しい冬の情景の中で鮮やかに映し出されてゆく。その表現こそが、日本文学の美しさの極致とされ、戦後のノーベル賞受賞につながった。