社長である父親にも直言した。それこそ、壮絶な喧嘩になることもあったという。だが、そうした姿を見た従業員は「この人は私たちの言うことを聞いてくれる人だ」と考えてくれたのであろう、小野さんに接する態度も変わり、生産性の向上に向けて結果が出つつあった。
従業員とも心が通い始め、「ここからが本番」という時、小野さんたちに新たな試練が襲った。新型コロナウイルスの感染拡大である。
「お客様は必ず戻る」
そう思えた理由
「宿泊客がいなくなったのですから、売り上げがありません。従業員は最初、とても不安がっていました」
動揺する従業員に向けて小野さんは、旅館のキャッシュフローの状況を丁寧に説明した。さらに小野さんは、世の中の動きと逆行するように、コロナ禍の時期に従業員を積極的に採用した。なぜそんな決断ができたのか?
「コロナ禍であっても、私には『お客様は必ず戻ってくる』という自信がありました。綿善旅館の創業は1830年、天保元年ですが、直後には天保の大飢饉がありました。それ以降も、幕末維新の動乱や戦争など、いくつもの危機を経験してきました。戦争による影響で旅館の経営が苦しかった時には、祖父母らの知恵で、大学生の下宿として旅館を活用していたこともあったそうです」
続けて小野さんが言う。
「ある時、大正生まれの祖母に『綿善がピンチだった時ってあるの?』と聞くと、『そんなもんない』ときっぱりと言ったんです。腹の据わり方が違うなと驚きました。苦しい時でも、私もそうありたい、打開策は必ずある。だから、コロナ禍=人員削減ではなく、積極採用しようと思ったんです」
コロナ禍で人員削減したため、需要が戻った今になって困っている業種・業界が多い中、綿善旅館の〝逆張り〟経営の姿勢は結果的に吉と出た。
「採用者の中には経験者もいますが、別の業界出身の方もいます。実はこれからの旅館のあり方を考えた時、さまざまな視点や経験を持った多様な人たちを採用したかったんです。コロナ禍で、優秀な人材がやむなく離職することを余儀なくされているはず。だから、綿善ではいつでも採用の窓口を開けておこうと。そしたら、やっぱり、優秀な方に来ていただくことができました」
それだけではない。副業を解禁し、従業員に別の業界でスキルを磨く機会を与えた。
「例えば、フロントの従業員の中には、ウーバーイーツで働いた人もいました。ウーバーでは、お客様の第一印象を良くすればチップがもらえるという仕組みがあったので、どうすればそれができるか真剣に考えるようになったそうです。また、他の旅館で清掃業務を経験した人は、自分の旅館よりも優れた点をいくつも報告してくれ、みんなで実践するようにしました。こうした従業員一人ひとりの副業経験によって、接客やサービス向上に確実につながっています」