3月中旬、JR京都駅は人の多さで前に進むのも困難なほどだった。日本人のみならず、大きな荷物を持った外国人観光客も多い。長かったコロナ禍が明け、ようやくかつての京都らしい賑わいが戻ってきたのだ。
「京の台所」錦市場から徒歩2分。創業194年の歴史がある綿善旅館(京都市中京区)のおかみ・小野雅世さんも、この賑わいぶりを見て、さぞ喜んでいるだろうと想像しながら、人混みをかき分けて面会場所に向かった。
小誌が小野さんを最初にインタビューしたのは、2017年のこと。安倍晋三政権のもと、首相官邸で行われた「第2回生産性向上国民運動推進協議会」で、取組事例として紹介されたときのことだ。当時、小野さんが掲げていた目標は「従業員1人当たりの年収を1000万円にする」というもの。「上位下達」が当たり前だった旧来型の組織を変えたい一心だった。
小野さんは、大学卒業後、三井住友銀行に勤務し、11年春に家業に入った。入行当時はリーマン・ショック、家業に入る直前には東日本大震災、そして、時代は平成から令和に移り、インバウンドも絶好調だった頃に突如襲った新型コロナウイルス感染症のまん延……。振り返れば、常に逆境に直面してきたが、その都度、「知恵」と「工夫」で乗り越えてきた。
小野さんの原動力とはいったい何か、この間、綿善旅館が挑戦してきたこと、そして、これからの時代にふさわしい旅館業のあり方などを聞いた。
従業員の声に耳を傾け
旅館の問題点をあぶり出す
家業に入った当時、「すんなり受け入れられるとは思っていませんでした」と小野さんは振り返る。古手の従業員たちからは「どんな人間が来るんや?」「女やと?」と、必ずしも歓迎されているわけではない雰囲気があった。
しかも、小野さんにはもう一つ気がかりなことがあった。幼い頃から旅館で過ごす時間が多く、従業員と接する機会も多かったのだが、子ども心ながら、面白がって仕事をしている人が少ないと感じていたからだ。
「入社して改めてそう思いました。多くの従業員は、出勤して、粛々とタイムカードを打刻し、その後もただ、なんとなく働いているように感じたんです。もっとこうしたほうがいいとか、ああしたほうがいいといった提案もなく、一言で表現すると、『社長や大おかみのイエスマンが出世する』、そんな雰囲気がありました。時代は平成だというのに、完全に昭和の雰囲気が残っていたのです」
小野さんは動いた。まずは、従業員の誰かと毎晩、飲みニケーションするなどして、思っていることや愚痴も含めてすべてを受け止めた。そして、3年間かけて、従業員に向き合い、彼らの声に耳を傾け、旅館の問題点を徹底してあぶり出した。
例えば、料理を提供する際、仲居によって、器の角度の指示がうるさく、やり方が異なっていたことに疑問を感じている従業員がいた。要領のいい人であれば、その日に働く仲居のやり方に合わせることができるが、できない人は叱られるばかりで、それがストレスになる。そうした理不尽さをなくすため、従業員ごとに異なっていた仕事のやり方を標準化していった。