さらに、従業員同士でプロジェクトチームもつくり、お菓子のクオリティーを上げたり、綿善旅館オリジナルのLINEスタンプをつくったり、「自分たちにできることは何か」を徹底的に考えた。「便利な世の中になったからこそ、〝不便さ〟に価値があるのではないか」と考え、宿泊客から尋ねられた行き先について、スマホで調べてもらうのではなく、あえて紙に書いた地図を渡したり、宿泊客がいないことを逆手に「旅館で寺子屋」と銘打って、大広間に小中学生が集うことができるイベントの企画もした。
「最初はみんな不安だったけど、終わってみれば、めちゃくちゃ楽しいコロナ禍でした」と小野さんは笑顔でこう言った。
給与よりも自分の時間
という働き方
コロナ禍が明けて、いよいよ従業員の年収1000万円に向けて再スタートしたかと思いきや、小野さんからは意外にもこんな答えが返ってきた。
「お客様の数は戻ってきていますが、稼働率はセーブしています」
綿善旅館では今、1泊2日食事付きのお客様が多い時には稼働率を50%程度に抑えているという。しかも、1組につき2部屋提供し、宿泊客のニーズに合わせた使い方をしてもらい、付加価値を徹底的に高めている。多くの旅館にしてみれば、コロナ禍の減収分を回収すべく、従業員が猛烈に働き、稼働率を上げることが収支改善への近道だが、なぜ、ここでも〝逆張り〟なのか?
「コロナ禍前のオーバーツーリズムの時代、従業員は休みなく働き、ワーカーホリックであることを自慢し合っていました。でも、コロナ禍で自分たちの幸せとは何かを考えるようになり、従業員の幸せは年収1000万円ではなく、『自分の時間が欲しい』ということだと分かったんです」
綿善旅館の正社員が現在20人。そのうち20代が過半の13人。これからは、Z世代といわれる若者たちも入ってくる。
「昭和と違い、人によって価値観が異なる時代になりました。だからといって、Z世代に全面的におもねることはしていません。ただ、彼らには彼らの思いがあります。昭和・平成・令和というそれぞれを生きた世代の経験や知恵、価値観をうまく組み合わせて、お客様に喜んでいただけるサービスを提供していきたい。それが新しい旅館業のあり方だと思うんです。
だから、入社1年目の従業員の提案であっても、綿善旅館にとって必要なことであれば、喜んで採用します。大きな設備投資をしなくても、小さなことの積み重ねでサービスレベルは確実に向上するんです」
今、綿善旅館は親子3代をメインターゲットにして、さまざまな取り組みを始めている。子どもが喜ぶキャラクターをつくったり、従業員と子どものタッチポイントを増やしたり、子ども用のお風呂セットを用意するなど、小さな改善を積み重ねている。
また、従業員の補充が容易だった時代は過ぎ去り、今は「人」が希少な時代になった。従業員であれ、お客様であれ、これまで以上に「人」を大切にする経営姿勢が求められている。それこそが、持続可能な新たな経営のあり方だと言えるだろう。
さまざまな逆境を乗り越えてきた綿善旅館。その経営姿勢から、旅館業のみならず、日本企業が学べることは多いのではないだろうか。