フェデリーコは、果断な傭兵隊長という顔にくわえて豊かな教養の持ち主で、のちに小国ウルビーノ公国の君主になると図書館や建築など文化支援にも貢献した。
歴史家のヤーコブ・ブルクハルトは、フェデリーコの横顔をこう記している。
〈小国の君主として彼は、国外で得た報酬を国内で消費し、自国にはできるだけ少なく課税するという政策を実施した。彼が自分のために建てた宮殿は華美を極めたものではなかったが、そこに彼はその最大の宝、かの有名な蔵書を集めた。公の国では誰もが彼から利益もしくは収入を得、また一人として物乞いをする者もいなかった〉(『イタリア・ルネサンスの文化』新井靖一訳)
のちにウルビーノ公として理想的な君主となるこの横顔の傭兵隊長が、実はメディチ家のロレンツォとジュリアーノ兄弟の殺害を狙った「パッツィ家の陰謀」の影の演出者であったという、衝撃的な事実が公にされたのは、ごく最近のことである。
「陰謀」にかかわった当事者の一人の末裔にあたる歴史学者が、ウルビーノの古文書館にあったフェデリーコの手紙を発掘し、そこに記されていた暗号文を読み解いた。
陰謀が実行される2カ月ほど前の1478年2月14日、フェデリーコはウルビーノのドゥカーレ宮殿の奥にある書斎で反ロレンツォ派の領主、ジュスティーニと面談して計画の概要を聞く。そのうえでローマにいる公使にあてた書簡を口述し、暗号文にして送った。もちろん、それが教皇シクストゥス4世へ伝わるのを意図した手紙である。
〈計画がもし成功して我々の意図および目的どおりに進むと、例の友人たち[パッツィ家]が現在同盟している例の権力[フィレンツェと包括的同盟で結ばれているミラノとヴェネツィア]を信頼できなくなり、それ[フィレンツェ]は教皇聖下および王の支配下に入る必要がある〉(マルチェロ・シモネッタ『ロレンツォ・デ・メディチ暗殺』熊井ひろ美訳)
慎重な言い回しで、フェデリーコは教皇庁へ陰謀の後の根回しを求めているのである。
〝権力者〟ロレンツォの孤立
都市間の覇権抗争が高まったこのころ、戦争に備えて傭兵という形で「安全」を買うのがルネサンスの都市国家の常態となった。常備軍を抱えるよりも財政的にはるかに合理的だったからである。それゆえ、依頼に応えて「戦争」を請け負う傭兵隊長のフェデリーコが、都市間の利害のはざまでメディチ家の兄弟暗殺という裏切りに加担するのは、傭兵の論理からすれば当時格別異数のことではなかったに違いない。
ウルビーノ公国の傭兵隊長フェデリーコはそれまで、暗殺の陰謀の標的となったロレンツォが統治するフィレンツェとはおおむね友好的な関係を維持してきた。しかし、フィレンツェが教皇庁の金融部門を独占するなど、周辺との摩擦を広げるに及んで、ロレンツィオの強大な支配力は各地の都市国家の反発を呼ぶようになった。
陰謀へ加担していたことをうかがわせるフェデリーコの書簡がある。宛先は陰謀に加わったミラノ公スフォルツァ家の書記官、チッコである。
〈あの事件がいかにおぞましいものであろうとも、そこまでの危険を冒す羽目に他人を追いやるような無礼のすざましさという観点から考えるべきで、パッツィ家の連中はそのような羽目に追いやられたのだ。彼らは死や一族の滅亡を、考えてもいなければ恐れてもいない〉(マルチェロ・シモネッタ 前掲書)
事件後、ロレンツォがとったパッツィ家の暗殺者とその同調者への報復は熾烈を極めた。逮捕者は100人に及び、犯行に加わった者は処刑された。それがパッツィ家と深い絆を持つ教皇シクストゥス4世の激しい怒りを呼んだのはいうまでもない。
教皇庁はフィレンツェを破門し、フェデリーコが傭兵部隊を送っていたナポリ王国と同盟して、ロレンツォに宣戦布告した。この「パッツィ戦争」でロレンツォは孤立し、窮地に立たされた。