2024年12月10日(火)

絵画のヒストリア

2024年1月28日

 ニューヨークの下町あたりのダイナー、つまり深夜営業のレストランのカウンターが舞台のようである。暗いガラス窓を背にしてソフト帽をかぶった背広の男と紅いドレスを着た茶色の髪の女が、コーヒーカップを前にして座っている。向かいのカウンターの端にやはり帽子をかぶった男が一人いるだけで、他に客はいない。大きなコーヒー・サーバーを置いた卓の内側では白い給仕服の男が一人、立ち働いている。

エドワード・ホッパー『ナイトホークス(夜更かしの人々)』(1942年、カンバス・油彩、アート・インスティテュート・オブ・シカゴ)
エドワード・ホッパー『ナイトホークス(夜更かしの人々)』の一部分

 夜は更けて、向かいのビルはすでに明かりを落として闇の中に沈んでいる。客席の男女がどのような関係で、どんな会話をしているのか。向かいの男はどんな素性なのか。どのような季節なのか。すべてさだかではないが、静まった店の中には道路を走り抜ける車のエンジン音が遠くから幽かに聞こえてくるかのようである。

 「夜更かし」を意味する『ナイトホークス』は米国の画家、エドワード・ホッパーが第二次大戦下の1942年に描いた代表作であり、いまや米国の絵画史なかでは古典的なマスターピース(名作)と呼んで差し支えない。

エドワード・ホッパー(1882~1967) 20世紀米国の画家。ニューヨーク美術学校に学び、米国の大都市や郊外に生きる人々や風景を通して都市文明の孤独と翳りを造形した。ヘミングウェイの文学やヒッチコックの映画とのかかわりも深い。

 米国のミステリー小説家であるローレンス・ブロックが編者となって、米国の17人の現代作家がホッパー作品をモチーフにした短編小説集『短編画廊』のなかでは、現代のハードボイルド文学の第一人者のマイクル・コナリーがホッパーのこの作品を冒頭に置いて『夜鷹』を書いている。

 〈「絵のなかの誰と自分が同じだと思います?」彼女は訊いた。「一人きりの男性、店にいるのが全然楽しそうじゃないカップル、それからカウンターの内側で働いている男性。あなたはそのなかのだれ?」

 ボッシュは彼女から絵の方へ視線を移した〉(古澤嘉通訳)

 真冬のシカゴ美術館。ロサンゼルス市警の刑事を退職して今は私立探偵という身分のハリー・ボッシュは、ホッパーの『ナイトホークス』の画面の前で監視対象者の若い女から突然、こう問いかけられる。そして、女は「私は一人きりでいる男ね」といい、ハリーは絵を見つめ直して「ああ、俺もそうだな」と応じる。中年の探偵と富豪の父親の依頼で監視の対象となっている行方不明の娘が、絵のなかに一瞬だけ同じ気分を認めあうのである。


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