ヒッチコックの映画にも影響
これとは逆に、映像の側からホッパーの作品へのアプローチとして、しばしば言及されるのは孤独な人間のなかの異常心理を通して日常生活の闇を浮かび上がらせた、アルフレッド・ヒッチコックの映画との親近性である。
ホッパーの『夜の窓』(1928年)は、夜のアパートメントの二階の部屋で暮らすピンクの下着姿の女を窓越しに描いている。外の深い闇を切り裂くように、室内からは皓々とした電光が溢れ出し、あけ放たれた窓辺ではレースのカーテンが風に揺れている。
この画面を支配しているのは、向かい側の建物から部屋の女の動きを覗いているはずの男の視線である。窓越しに映る室内の半裸の女は後ろ向きで、体をこちらにのぞかせている。ヒッチコックが『裏窓』(1954年)で描いた「覗き見の劇場」がここに再現されている。
『サイコ』(1960年)はヒッチコックの映画の中でも、夢と現実の倒錯した世界や人間の異常心理を通して現代人の日常に潜む闇を探った名作といわれる。アンソニー・パーキンスが演じる主人公が住む、郊外のさびれたモーテルが不気味な物語の舞台である。
ヒッチコックがそのイメージを求めたのは、ホッパーの初期作品『線路わきの家』(1925年)である。鉄道線路を抱くようにして建つ三階の館に人の気配はなく、マンサード風の屋根と半円の装飾をほどこした窓だけが並んでいる。米国で17世紀末に流行した重厚な建築様式の孤立した存在感が『サイコ』の怪しげな日常性と同期して、不気味さはさらに高まる。
ホッパーの絵画が現代の映像作家から根強い共感を集めているのはなぜか。
『パリ・テキサス』や『ベルリン 天使の詩』で知られるドイツのヴィム・ヴェンダーズはホッパーの『海辺の部屋』(1951年)をあげて、強い日差しが射し込む誰も人のいない部屋が観者に働きかける〈物語〉の力をたたえた。
〈誰かが開いたドア、または窓から海に飛び込んだのか、波はうねり上がって直接戸口に押し寄せていて、まるでこの家が崖の上に立つか海に立つ支柱か何かの上に建てられているかのようだ。そして、次の瞬間には海のかなたに小舟が現れて、無限に深い海に落ちた彼か彼女を救い上げようとするかもしれないが、小舟はあまりにも遠い。この絵でもすばらしく優しい午後の陽光が、人のいない空っぽの部屋に降り注いでいるのだが、その美しい光でも外部の自然の敵意を忘れさせることはできない〉(青木保 前掲書)
ホッパーが描いた米国には、たとえそれが初夏の陽光の溢れるさわやかな海辺の部屋の風景であっても、どこかに〈不穏〉の気配が漂っている。それはおそらく、20世紀の〈米国〉という社会が内部にはぐくんだ、逃れがたい文明の〈空気〉であったに違いない。