2024年7月22日(月)

BBC News

2024年7月22日

レイチェル・ルッカー、ホリー・ホンデリッチ、BBCニュース

11月に行われる米大統領選の本選まで4カ月を切るなか、カマラ・ハリス副大統領は苦境に立たされていた。

再選を目指していたジョー・バイデン大統領は6月末のテレビ討論会で言葉に詰まるなど精彩を欠き、大統領選に勝てないのではないかと批判が高まっていた。民主党内で不安感が緊張感へと変わるなか、ハリス氏の名前は後任候補者リストの上へ上へと上っていった。

バイデン氏が選挙戦から撤退してハリス氏を後任候補として支持すると発表したことを受け、ハリス氏はついに念願だった民主党の大統領候補となり、大統領職に就く可能性を手にした。

しかし、ここに至るまでの道のりは、特にここ数カ月間は、非常に厳しく、難しい課題だらけだった。

前回の大統領選があった4年前なら、一度は民主党の大統領候補者指名争いに名を連ねたハリス氏は、党内の称賛を喜んで受け入れていただろう。しかし2024年7月の時点で、ハリス氏の立場は前より難しいものになっていた。再選を目指す現職同士、あらゆる方面から攻撃されていた。そして、自分が再選されるかどうかは、バイデン氏の様子次第だったからだ。

惨憺(さんたん)たる結果で終わった6月末の討論会から24時間のうちに、ハリス氏はバイデン氏への強い忠誠心を示すことを選んだ。

米CNNやMSNBCに対して、そして選挙集会で、ハリス氏は政治パートナーのバイデン氏の功績を擁護し、対立候補ドナルド・トランプ前大統領を攻撃した。

「私たちは大統領を、ジョー・バイデン氏を信じている。彼が掲げることを信じている」と、ハリス氏は選挙集会で語った。

民主党内の支持者が増えて、自分をスポットライトの中へ押し出そうとしても、バイデン氏に批判的な人々がバイデン氏に撤退を迫っても、ハリス氏は決して揺らぐことはなかった。

それでも、女性として、黒人として、そしてアジア系アメリカ人として初めて副大統領に就任したハリス氏にとって、大統領候補を目指す2度目のチャンスが訪れた。

2020年の大統領選では、有権者へのアピールに苦戦し、副大統領在任中の支持率は低かった。しかし、ハリス氏の支持者たちは、副大統領が生殖に関する女性の自己決定権を擁護していることや、黒人有権者にアピールできること、検察官としての経歴があることなどを、ハリス氏支持の理由として挙げる。しかも、相手が「不倫口止め料」の支払いをめぐる裁判で重罪犯になった人物なだけに、元検察官のハリス氏がその対立候補になることの意義を、支持者たちは指摘する。

「(ハリス氏は)選挙権や移民制度改革といった重要な問題に、尽力してきたと思う」と、米ジョージタウン大学の「女性・ジェンダー研究プログラム」ディレクター、ナディア・ブラウン氏は語った。

「女性が人工中絶を選べるようにすることや、黒人コミュニティへの働きかけについて、(ハリス氏は)誰よりも強力にバイデン氏の代理を務めてきた」

副大統領になるまで

ハリス氏は5年前まで、民主党の大統領候補者指名を争う、カリフォルニア州選出の上院議員だった。

カリフォルニア州アラミーダ郡地方検事事務所でキャリアをスタートさせ、2003年にはサンフランシスコの検察トップ、地方検事となった。2011年には全米で最も人口の多い同州で、司法トップの司法長官に女性として、そして黒人として、初めて就任した。

これを機に、民主党の新進気鋭の若手として注目されるようになり、2016年11月の連邦上院選で当選。2017年からカリフォルニア州選出の連邦上院議員になった。

しかし、2020年大統領選の候補者指名争いではうまくいかなかった

討論会では巧みに競ったものの、政策方針の説明が不十分で、その失点を挽回できなかった。

ハリス氏の大統領候補指名争いは1年足らずで終わったが、大統領候補だったバイデン氏から副大統領候補に指名され、再び全米の注目を浴びた。

2013年にハリス氏の広報部長を務め、同氏の2020年大統領選への立候補を批判したギル・デュラン氏は、当時のことを「カマラ・ハリスにとっての大逆転劇」だったと述べた。

「これほど早くホワイトハウスでの地位まで上り詰めるだけの自己規律と集中力が彼女にあるとは、多くの人は考えていなかった。(中略)彼女に野心とスター性があることは知られていたが。彼女に生まれ持った才能があることは、常に明らかだった」

ハリス氏はホワイトハウスで、いくつかの重要な事業に注力し、バイデン政権で最も喧伝(けんでん)された成果のいくつかに尽力してきた。

女性が自分の身体について決定する権利を持つことを提唱する全国的な「生殖に関する自由のための戦い」ツアーを立ち上げ、中絶禁止法がもたらす悪影響を強調。2022年に連邦最高裁がアメリカで長年、女性の人工妊娠中絶権は合憲だとしてきた1973年の「ロー対ウェイド」判決を覆す判断を示した際には、「ロー対ウェイド」判決で認められていた保護を回復するよう議会に求めた。

副大統領が議長を務める上院(定数100)で、ハリス氏は過去最多の決裁票を投じた副大統領でもある。議長としてのハリス氏の賛成票は、上院議員の票が賛成50、反対50で同数となったインフレ削減法や、景気刺激策を含む新型コロナウイルス感染症救済資金を盛り込んだ 「アメリカン・レスキュー・プラン(アメリカ救済計画)」などを可決させた。

バイデン氏が黒人女性として初の連邦最高裁判事に指名したケタンジ・ブラウン・ジャクソン連邦控訴裁判判事の人事案も、ハリス氏の決裁票で承認された。

ハリス氏は一方で、各方面からさまざまに批判され、アメリカ国民にその声を浸透させるのに苦戦した。

同性結婚や死刑制度などについては左派寄りの姿勢だったものの、民主党支持の一部有権者からは、進歩派としては不十分だと繰り返し攻撃された。2020年大統領選では、「カマラは、おまわりだ」という言葉がよく聞かれた。

バイデン氏はまた、記録的な数の不法移民がアメリカ南部のメキシコ国境へ押し寄せていることを受け、移民問題の根本原因への対応を指揮するよう、ハリス氏に求めた。移民対策は、ハリス氏が十分な成果を得られていない問題の一つだと、反対派は指摘している。

ハリス氏は副大統領就任から南部国境を視察するまで約6カ月かかったことについて、共和党議員や一部の民主党議員から反発を受けた。

しかしここ数週間のうちに、バイデン氏に11月の本選で勝利できる能力があるのか憶測が飛び交う中、ハリス氏の支持層はあらためて増え続けている。

ハリス氏の多様なアイデンティティ

ハリス氏はカリフォルニア州オークランドで、インド出身の母親とジャマイカ出身の父親の間に生まれた。

5歳のときに両親が離婚した後は主に、ヒンドゥー教徒の母親に育てられた。母シャマラ・ゴパラン=ハリス博士はがんを研究するかたわら、公民権運動にも参加していた。

娘たちにインド系の名前をつけ、娘たちをインドにたびたび連れていった母親の影響で、ハリス議員は自分のインド系のルーツを自覚しながら育った。しかしそれと同時に、ハリス議員によるとゴパラン=ハリス博士はオークランドのブラックカルチャーを暮らしに取り入れていた。そのため、ハリス氏は妹のマヤさんと共にその中で育った。

「母は自分が黒人の女の子2人を育てているのだと、重々理解していた」と、ハリス議員は自伝「The Truths We Hold(私たちの真実)」でこう書いている。

「自分の住む場所として選んだこの国は、マヤと私を黒人の女の子として見るはずだ。そのことは、母も承知していた。そして母は、私たちを自信ある誇り高い黒人女性に育てると、決心していた」

2つの人種的ルーツと生い立ちは、ハリス氏が多くのアメリカ人のアイデンティティを体現し、訴えかけることができることを意味する。アメリカ国内では、地域の政治傾向を変えるほど人口動態が急変する場所が複数ある。そうした地域の住民にとってハリス氏は、目標として見上げる存在の象徴でもる。

ハリス氏が、自分の人生が最も形作られた経験の一つとして語っているのは、全米屈指の歴史的黒人大学ハワード大学で過ごした時間だ。

リタ・ロザリオ=リチャードソン氏がハリス氏と出会ったのは、1980年代のハワード大学在学中のことだった。学生たちはキャンパス内のヤードと呼ばれる芝生エリアに集まり、政治やファッションやゴシップを語り合っていたという。

「彼女には議論の鋭いセンスがあると気が付いた」と、ロザリオ=リチャードソン氏は語った。

2人は、キャンパス内の共和党支持者と精力的な議論を行う能力や、シングルマザーのもとで育ったという共通の経験、さらには同じてんびん座であることなどから絆を深めた。政治的にも、形成期にあった。

「当時は(ロナルド)レーガン氏が大統領で、アパルトヘイトの時代で、『トランス・アフリカ』(アフリカ諸国などに関する米外交政策に影響を与えようとした米擁護団体)と対南ア投資引き上げや、マーティン・ルーサー・キング牧師の誕生日を国民の祝日にするかどうかなどが話題だった」

「奴隷にされた人々の子孫や、植民地支配から解放された有色人種の子孫として、自分たちには自分たちには特別な役割があると、私たちは理解している。教育を受けることで自分たちには、社会に変化をもたらすための特別な立場を与えられるのだと理解している」。ロザリオ=リチャードソン氏はこう説明する。これがハリス氏の哲学であり、行動を起こすよう求められた在学中の経験の一部だったのだという。

他方、ハリス氏は主に白人が多いコミュニティでも難なく行動してきた。少女時代にカナダなどでもしばらく過ごしたことがあるからだ。母ゴパラン=ハリス博士がカナダのマギル大学で教えるようになると、娘たちも同行し、5年にわたりモントリオールの学校で学んだ。

ハリス氏は、自分のアイデンティティーについて混乱したことはなく、ただ単に自分を「アメリカ人」と呼ぶのだと言う。

2019年には米紙ワシントン・ポストに対して、政治家は出身や肌の色がどうだからこうでなくてはならないなどという「箱」に押し込まれるべきではないと発言。「自分は自分。私はそれで満足です。迷う人もいるかもしれないけど、私はそれでいい」と話していた。

機知に富んだ カマラ氏の「討論クラブ 」

ハリス氏はかなり早い段階から、障壁を突破する少数の女性になるための能力を発揮していたと、友人のロザリオ=リチャードソン氏は言う。

「その恐れしらずな姿に惹かれたから、(ハワード大学の)ディベート・チームに彼女を参加させたいと思った」

ウィットとユーモアもハリス氏の武器だ。

ハリス氏は2020年大統領選でのバイデン氏との勝利をソーシャルメディアで報告した際に動画を投稿。そこには、「私たちはやった! やったよ、ジョー。次のアメリカ大統領になるのはあなただよ!」と、バイデン氏に電話しながら大笑いする姿が映っていた

バイデン次期大統領(当時)を歓迎した時のその笑い声を聞いて、友人はすぐに、これこそ自分がよく知るハリス氏そのものだと思ったという。

「選挙戦の短い間でも、彼女の人柄がはっきり表れている」

「彼女はいつも笑っていて、ユーモアのセンスもあり、ウィットのセンスもあった。大学での討論の場であっても、言いたいことを伝えられる能力があった」

ライブ討論会で相手に対して鋭い発言をする能力こそが、大統領候補指名を目指し始めるきっかけとなった、あの勢いを生んだ要素の一つだった。

あだ名は「モマラ」、歴史に名を残す「ヒストリー・メーカー」

上院議員時代の2014年、ダグラス・エムホフ弁護士と結婚し、エムホフ氏の2人の子供の継母になった。

2019年には、雑誌「エル」に継母になった経験を寄稿した。その中で明かしたあだ名は、多くのメディアの見出しを飾ることとなった。

「ダグと私が結婚した時に、(エムホフ氏の子供)コールとエラと私の3人で、『継母』という言葉が好きじゃないという意見で一致して。代わりに子供たちが『モマラ』という名前を思いついた」のだという。

一家は、現代アメリカの典型的な「混合」家族として、周知された。メディアはそのイメージを強調しながら彼女の家族をしきりに取り上げたし、女性政治家について世間がどう語るかについて語るコラムも、そういうイメージをしきりに取り上げられた。

しかし、ハリス氏を語る際には、別のタイプの家族の子孫としても彼女を取り上げ、認識するべきだという指摘もある。つまり彼女のことは、何世代にもわたる黒人女性活動家の継承者として見なし、認識するべきなのだと。

「彼女は、数々の草の根活動家や選挙で選ばれた公職者、そして落選した候補たちのレガシーを受け継いでいる。そういう人たちが、ホワイトハウスへの道を整えたのだ。黒人女性は民主政治と民主党において、強力な力を発揮する存在と認識されている」。米パーデュー大学で政治学とアフリカ系アメリカ人研究を教えるナディア・ブラウン准教授は、BBCにこう話した。

ハリス氏の先を歩いてきたのは、公民権活動家のファニー・ルー・ヘイマー氏やエラ・ベイカー氏、セプティマ・クラーク氏などという先駆者たちだと、ブラウン氏は主張する。

「彼女の勝利は歴史的なものだが、彼女だけのものではない。このような日が来るのを可能にした無数の黒人女性たちと分かち合うものだ」

(英語記事 The many identities of the first woman vice-president

提供元:https://www.bbc.com/japanese/articles/c2v0jyz6x9wo


新着記事

»もっと見る