「最大多数の最大幸福」の適用範囲
さて、この功利主義にはひとつ興味深い論点があります。それが、「最大多数の最大幸福」の「多数」に、人間以外の生き物も含めるべきかという点です。動物や魚の幸福も幸福に数えるかということですね。
果たして動物の幸福も、人と同じ基準で計算するべきなのか? ベンサムは「人間以外の幸福も含めるべき」だと考えましたが、一方で、時代は違いますがアリストテレスやヘーゲルなどの哲学者は、動物には人格がないため人間と並べるべきではないと主張しました。
これは非常に難しい問題です。ペットを飼っている人にとっては、犬や猫は当たり前に家族の一員、その幸福を願わないなんてことはあり得ないはずです。動物だって「多数」の一員として、幸福の計算に入れてあげるべきと考えるでしょう。
しかし、仮に動物もすべて数に入れた上で功利主義を採用すると、我々は肉も魚も食べられなくなります。
みなさん、去年1年間で、鳥を何羽食べましたか? 魚を何匹食べましたか?
農林水産省によると、日本人は1人あたり年間12・6㎏の鶏肉を消費しているそうです。1羽の鶏から取れる肉が1200g程度だそうなので、我々は平均して1年に10羽の鶏を食べていることになります。10年なら100羽です。しらす丼なら1食でイワシの稚魚の命を1000ほど奪うことになります。
つまり、人間以外も多数に含めるのならば、ヴィーガニズム(完全菜食主義)の実践者でもない限り我々は功利主義に逆行する行動を取っていることになります。むしろ、人間を1人殺せば何百という鶏、何千という魚の命が失われずに済むわけですから、殺人こそが最大多数の最大幸福を生む行為ということになります。
生物に入れていいのか評価は割れると思いますが、ゾンビもそうです。私は過去にゾンビが哲学する本(なんだそれ)を書いたことがあり、その準備としてゾンビ映画を見るたび功利主義について考えさせられていました。
ゾンビ映画を見ていると、人間とゾンビでは、圧倒的にゾンビの方が数が多いですよね? 少数の生き残りの人間が大量のゾンビに囲まれるというのがゾンビ映画のセオリーです。しかも物語が進むにつれ人間の数は減りゾンビが増えます。
ゾンビの映画やドラマを鑑賞する時、我々は恐ろしいゾンビから人間たちがいかに逃れられるかをハラハラしながら見守るわけですが、功利主義の観点からすると、少数の人間はさっさとゾンビに食われるべきだということになります。5人や10人の人間が死のうと、多数のゾンビがご馳走にありつける方が総合的な幸福度は大きくなるわけですから。それこそが最大多数の最大幸福であるし、現に我々人間が牛や豚に対して行っていることでもあります。
功利主義の採用にあたっては、適用範囲や適用場面について、十分に検討する必要がありそうですね。