昨日の式典から判断するに、署名者だけでなくその背後に居る数百万の声無き声と大衆にとり、これは「希望の式典」で、国連の考え方が人々の心と政治家の計算に脈々と生きていることを示している。少なくとも、ルクセンブルグのベック外相が節度を持って述べたように「これは世界に永続する平和という有益な時期を提供するかもしれない」。
時間稼ぎはできた。しかしその間にこの誓約に基づき努力を積み重ねなければ意味が無い。集団による抵抗は、隣人との共存と両立すべきだ。イタリアのスフォルツァ外相が述べたように、この約束は継続的創造であるべきだ。
信念と誓約に作業を加えることで進歩が齎もたらされる。この点で条約署名前夜に、白と蘭に続き仏と伊が関税同盟への一歩を進めたことは留意されるべきだ。これは、各国を共同事業に向けて協働させるための行進の一里塚だ。
北米はこの統一の進展に利害関係を持っており、それに貢献すべきだ。マーシャルプランにより、共同事業に向けての協働の舞台は整った。言うならば、資金は銀行に有る。そして、欧州プロジェクトのために各国が資金を供出すれば、大統領が説明したように、北大西洋条約機構による積極的な平和構築の証拠になる。
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予測されていた世界の混沌
大変に興味深い内容である。この社説を読むと、75年前のNATO 創設当時の人々の心持ちが良く分かる。同時に、現在我々われわれが直面している問題の殆ほとんどを正しく予測していることに驚かされる。
「人生の何物も努力無しには得られない」、「未来の世代が、何らかの機構を作れば平和は自動的に達成されると考えがちなことが問題だ」、「全ての人は平和を望むが、平和の代償を払う用意がある人は少ない」との点は、正に現代に通じる至言だ。
今回のNATOサミットに向かう過程で、多くの欧州諸国が漸ようやく国内総生産( GDP) の2%を国防に支出するとのコミットメントを実現する見通しになったことは、非常に意義深い。もちろん、その実現のためにトランプ的な発言(コミットメントを果たさない国にロシアは何をしても良い等)が必要だったのかは別問題で、そのような発言は、同盟の信頼性と米国の権威を落とすことに繋がるという大きな懸念がある。