まず3冊目は『かつお節と日本人』(宮内泰介、藤林泰著/岩波書店)。「かつお節」という日本食の「象徴的存在」にして、帝国日本とグローバリゼーションの産物として爆発的に生産量・消費量が拡大していったかつお節に関して、非常に壮大な歴史的・地理的視野から説き起こした好著です。かつおぶしの消費量は、高度成長期の「削り節パック」の普及や、現在だと、各大手が出している「めんつゆ」商品で、健康志向から減塩する代わりにかつおぶしを「たっぷり使用」することが売りにされるなど、右肩上がりに増えていて、近年では原料のカツオだけでなく、かつお節そのものもインドネシアやフィリピンからの輸入が増加しているそうです。
本書は、『バナナと日本人』(鶴見良行著/岩波書店)『エビと日本人』(村井吉敬著/岩波書店)の問題意識を引き継ぐものですが、本書の複眼的な目線は、グローバリゼーションの収奪性を単に批判するのではなく、そのモデレートなあり方の可能性を模索しようとするもので共感する部分もありますし、いま読む本としては、エビやバナナが問いかけた視点よりもずっと得るものが大きいと思うんです。
そして4冊目は、70年代~00年代を中心としたもうひとつの「日本の食文化」を扱った『ファッションフード、あります。:はやりの食べ物クロニクル1970ー2010』(畑中三応子著/紀伊國屋書店)。カタログ本として優れた軽さを持っていながら、「ファッション・フード」が登場してくる背景でもありその結果でもある、外食産業と労働の構造変動、女性の社会進出や家事の外部化についてなどの卓抜した視点が随所に出てきます。
ここで描かれる事象に一時的に熱狂する消費者の「軽さ」を、例えば前書のような視点から批判的にみるのは簡単ですが、果たしてそれで事足りるのか。この本にカタログ的に描かれた事象の圧倒的な「ワクワク感」を、消費社会に生きる私たちは誰も否定できないし、「味覚ではなくて頭で」食べるようになった私たちにとって、ストーリー化を抜きにした食にまつわる産業の発展はもはやありえないだろうと思うんですよ。むしろ、こうしたファッション性とモデレートなグローバリゼーションの模索を接合するような視点が求められているように思います。
この2冊では読者層が違うと思います。ただ、この2冊を合わせて読むことで、生産者と流通、消費者などの過程をつなげていくストーリー化の重要性を感じることができる。『かつおぶしと日本人』が明らかにしたような、今まで知ることのなかった歴史的経緯やグローバルなネットワークを知ることは、本当は消費者にとっても楽しいことのはず。フェアトレードのブームなんかもそういう方向性ですが、ストーリーを消費されるっていうのを安直に嘆くのではなくて、遠く離れた消費者と生産者がつながっていくことをむしろ今後のサステイナブルな「ファッション」としていくには、どんな条件が必要になってくるのか。そんなことを感じながらこの2冊を読んで頂ければと思いますね。