私はたまたまいま名古屋に住んで、愛知の大学で教えているのですが、学生たちを見てそんな空気はまったくないわけですよ、昭和じゃないから。地方といってもそこそこ豊かだし、上京しなくても情報はネットで手に入る気がするし、親よりもいい学歴に進んであげることが親孝行だなんて感覚もない。生まれおちたところでは終わりたくない気持ちというか、飢えにも似た出郷への渇望というか、たぶん昭和を生きた人ならメディアを通して間接的にでも知っている雰囲気が、いまはこうして明示的に語ってもらわないとわからないような気がしますね。
先日驚いたのですが、昨年までは『ナウシカ』見たことある子は? って聞くとクラスのほぼ全員が手をあげたんですけど、今年は半分しかあげないのです。私の世代くらいまでだと、宮崎駿と言えばまずは昭和時代に撮った『ナウシカ』や『ラピュタ』が定番で、でも最近は『ポニョ』みたいに違う作風のものもあるよねという感覚だと思うのですが、たぶん彼らにとっては逆なんだろうと思うんですね。そういう意味でも、昭和という経験をどうバトンタッチするか、ということを考えさせられましたね。
3冊目は今年出た本ではないのですが、『渡邉恒雄回顧録』(中公文庫)です。2冊目の鈴木さんの自伝が、一見すると平成の文化であるジブリの作品に秘かにさしている「昭和の影」を教えてくれるとしたら、こちらはまあ、ザ・昭和そのものという感じでしょうか。渡邉さんは戦後直後に共産党に入って運動して、でも喧嘩してやめた後に、政治部記者として自民党の大物に食い入っていまの地位まで上り詰めた方だから。
政治学者の御厨貴氏と飯尾潤氏、昭和史の大家である伊藤隆氏が聞き手という豪華な本です。
なぜいま読んだのかというと、きっかけは年末にメディアを騒がせた特定秘密保護法なんです。今回、渡邉さんが主筆の読売新聞は賛成の立場だったわけですが、1970年代の西山裁判(外務省事務官から情報提供を得ていわゆる「沖縄密約」をスクープした毎日新聞の西山太吉記者が、国家公務員の守秘義務違反を教唆したとして起訴された)では、彼は証人として西山さんを弁護しているんです。江川紹子さんがネットで紹介されているのを見て知ったのですが。それで、ナベツネさんにもそんな時代がと思って、興味を持って。
弁護に立ったのは読売・毎日のエースどうしで、西山記者とかねてつきあいがあったこともあるようで、首相になる前の大平正芳を囲んで3人でご飯を食べる会をやっていたそうです。実は、その大平さんが外相(池田勇人内閣)の折に、韓国の金鍾泌中央情報部部長と結んだ合意メモというものがあって、これで賠償の枠組みが決まることで1965年の日韓基本条約につながるのですが、この大平・金メモを国民の前にスクープしたのが渡邉さんなんです。1962年12月15日だから、まだ交渉中の時ですよ。