フィリピンの中国人社会はマレーシアやタイとはどこか違う
マゼランがセブ島に上陸して以来、フィリピンは400年もスペインの支配下にあったが、唐の時代から現代まで大陸から中国人はフィリピン各地に綿々と移住してきた。そして大半は混血によりフィリピン社会に同化した。
フィリピンではスペイン系はメスティーソ、中国系はチノイ、フィリピン系はピノイと呼ばれる。人口比率では諸説あるようだがチノイは20%弱、メスティーソは数パーセントで圧倒的多数はピノイのようだ。代々混血して生活・言語もピノイに同化しているので一見してメスティーソ、チノイと分かるケースは少ない。例えばコラソン・アキノ、ベニグノ・アキノの二人の大統領を輩出したアキノ家や大財閥はチノイである。
アジア各国の華僑社会に詳しい知人のI氏によると華僑はその土地で中華街を形成する。そして華僑会館(出身地別会館もある)、中華学校、中華新聞、中華商工会議所、中国人共同墓地などを設ける。筆者の見聞ではボルネオ島のコタキナバルの中華街が典型的だ。(I氏の知見を含めて『驚異の華僑ネットワークの真髄を覗く』ご参照) 本稿ではフィリピンの中華学校を取り上げる。
中国人キリスト教会と新設のキリスト教中華学校
ドマゲッティ中心街に位置する1928年創立の聖十字架中国中学を訪問(本編第5回参照)。この老舗中華学校の過半の生徒はピノイである。教育水準が高くキャリア形成に有用な中国語を習得するのが入学動機だ。近隣の中国人キリスト教会に行くと郊外に運動場、プール、実験室などを完備した中華学校、“DACCA”を新たに開校したと説明を受けた。
3月31日。ドゥマゲティ中心街から郊外へ約6キロにあるDACCA訪問。広い敷地に体育館、運動場、テニスコート、プール、そして新しい四階建ての校舎。イースター休暇で休校していたがガードマンから話を聞けた。
DACCAとはドゥマゲティ博愛中国人キリスト教徒学院(Dumaguete Agape Chinese Christian Academy)の略称。2011年開校、現在生徒数約200人。幼稚園、小学校、中学(2年まで)。校舎や敷地の規模から今後さらに生徒数を増やして高校までの一貫教育体制にするという計画も頷けた。
繁華街に位置する聖十字架中華学校は生徒数約660人で狭い中庭を囲んで校舎が敷地一杯に建てられ拡張余地はない。それで郊外に新たに中華学校を建設した訳だが支援母体のドゥマゲティの中国人キリスト教会は信者数300人ほどだ。
キリスト教徒以外も含めてドゥマゲティの中国人社会はせいぜい1000人程度の規模と聞いた。改めてフィリピンにおける華僑の財力と教育熱心ぶりに感嘆した。
ネグロス島西部のバコロドの華明中学
4月2日。バゴロド市は人口56万人、ネグロス島最大の港湾都市。ホステルの近くに華明中学があった。英文名称はSt.John Mission School。カトリック系の中華学校だ。
守衛に話すと校長室へ案内された。1959年開校、今年創立75周年。現在当該本校に1300人、郊外の分校に400人、合計1700人が在籍。女性校長は穏やかな人柄で紅茶とクッキーを勧めながら説明してくれた。母体は中華学校であるが生徒は中国系フィリピン人(チノイ)は半数。残りはピノイという。
幼稚園・小中高一貫校である。やはり将来ビジネスで有用という実利面から中国語は生徒に人気があるという。
リベラルな女性校長
校長先生自身もこの学校で学びマニラの大学を卒業してから大学で教えていたという経歴。15年前から当校の校長を務めている。校長自身はフツウのフィリピン人の家庭で育ったので中国語はできないが、父方の先祖が100年くらい前に福建省から渡来したらしいという。
校長によるとほとんどのフィリピン人は祖先に中国から渡来した人がいるので余り中国系フィリピン人(チノイ)を区別するという意識がないし区別する意味もないという。
商業港湾都市の中華街の老舗中華学校
4月4日。フィリピン中部のスペイン植民地時代から栄える商業港湾都市。港近くの中華街は活気に満ちている。その中華街のど真ん中に位置するのが中華学校。入口に地元中国商工会議所が全面的に支援していると大書されていた。
守衛室で「日本から来た」と挨拶すると、女性校長先生のところまで案内してくれた。20世紀初頭に開校したフィリピン屈指の名門中華学校らしい。運営は商工会議所と同窓会が資金面を支えている。中華街のメインキャンパスだけでは手狭なので郊外にキャンパスと学生寮・運動場などを増設したと。現在本校800人余+新校舎600人余=合計1600人在籍。幼稚園・小中高+商科大学という一貫教育。生徒はチノイよりピノイのほうが多い。
高校卒業後はマニラなど国内大学のみならず海外留学する生徒が多いという。全国私立学校コンクールで数学、科学、弁論で優勝・準優勝しているほど学力レベルは高いという。マンダリン(標準中国語)の授業では面白いことに中国系生徒よりもフィリピン人生徒の方がむしろ熱心らしい。
興味深い女性校長の来歴と奇異な国際感覚
女性校長は精力的な敏腕経営者という雰囲気。香港生まれで1960年代末に小学生の時に家族とフィリピンに移住。当時は中華人民共和国成立後約20年、東西冷戦期でチェコの“プラハの春”をソ連軍が蹂躙、中ソ対立激化という時代。
彼女自身もこの中華学校の卒業生。なんと英語・広東語の他に北京語(標準中国語)・福建語・タガログ語・ビサヤ語を話すというマルチ・リンガル国際人。彼女は親戚・友人がいるのでしばしば香港へ遊びに行く。さらには中国大陸にも頻繁に視察や観光で訪問するという。
共産党支配に対する批判的見解を引き出そうと質問したが、彼女は「現在の香港や中国に何ら違和感を覚えないし経済的に発展して安定している香港や中国が好きだ」と断言した。さらに「香港では政治的自由が奪われているのでは?」と水を向けると「法律に抵触しなければ自由に生活できるし問題ない」と反論。
そして「最近は福島の汚染水が恐いので魚介類を食べない。日本人は政府の言論統制のせいで汚染水の深刻な問題を知らされていない。日本の言論規制は先進国では最下位と報道されているのは当然ですね」と口にした。まるで、中国外務省報道官のような発言である。ましてや、処理水ではなく、汚染水と言うところなどもそっくりである。後々考えてみたら……。