ひとたび刺激されれば、彼らは、豹変して、数の論理で力を奮い始める。この匿名の多数派たちの横暴は、かつてニーチェが「そういう人たちが外部に向かっては、すなわち自分らと異なるもの・異郷に接する段になると、放たれた猛獣とさして選ぶところないものとなる」(『道徳の系譜』)と評した通りである。
彼らの忘れっぽさこそ、選手にとって救い
誹謗中傷にさらされた選手諸氏にとって、最大の救いは、彼らの忘れっぽさである。彼らは執拗な存在ではない。絶対に忘れる。その後は、後に引かない。
オリンピック後、1、2ヵ月は余波が続くであろう。この期間をしのぐことである。この期間中は、徹頭徹尾「期待されるアスリート像」を演じ続けること、多数派の中傷には沈黙に徹すること、意見表明する場合、その内容はすべてコーチらのスタッフに任せること、そして、できることなら、喧騒を離れ、メディアからも隠れて、地元のジムで過ごすことである。
海外に練習拠点を持つ選手は、そちらに留まればいい。帰国などしなくていい。
人々は、忘れる。メディアも、飽きる。新たなニュースを探す。数ヵ月前、大谷翔平選手の通訳だった水原一平氏が訴追されたときは大騒ぎであった。今では、ほとんどニュースとして取り上げられない。こんなものである。
選手たちは、ファンと直面した際に「応援ありがとうございます」と通せばいい。
私たちもまた本来のルーティンへ
一方で、皆様もお気づきのように、ネットに書き込む人々は、実際には国民全体のなかでは少数である。動画再生回数が多くても、中傷合戦に参戦している人は限られている。私たちのほとんどは、そんな余裕も時間もない。
私たちは、何をすべきか。それは、選手がそうであったように、私たちもまた、本来のルーティンに戻ることである。「スポーツの祭典」は終わった。夜更かしも終わった。夏休みも終わる。私たちもまた、自身のコンディションを戻して、本来の生活に戻ることである。
結果として、それは「中傷の祭典」を終わらせることになる。私たちには、大切な日常がある。ネットの火は、そこに油を注ぐことを控えさえすれば、早晩、燃え尽きて終わるであろう。