懐疑的な見方はイラン国民の間にも多い。他方、ペゼシュキアンの改革の成否は、彼が求めるエンゲージメントに米国をはじめ西側がどう対応するかにかかっている側面のあることが指摘されねばならない。
ペゼシュキアンの勝利について、7月7日、米国務省の報道官は「この選挙がイランの方向性の基本的な変化あるいは市民の人権尊重の進展をもたらすとは期待していない。……イランの政策は最高指導者によって定められる」「選挙はイランに対する米国のアプローチに重要なインパクトを持つことにはならない。われわれのイランの振舞いに対する懸念は変わっていない」と述べたと報じられている。
この冷淡で紋切型の応答はいかがなものかと思われる。7月30日のペゼシュキアンの宣誓式に特使として出席したのは西側では欧州連合(EU)のエンリケ・モラ欧州対外活動庁事務次長と日本の柘植芳文外務副大臣のみだった模様である。欧米の反応は全般的に冷淡のようであるが、少なくとも、ペゼシュキアンの出方によっては積極的に対応し得るとの含みを持たせた立場を維持すべきではないかと思われる。
船出早々、強硬路線に
なお、7月30日の宣誓式に出席したハマスの最高指導者イスマイル・ハニヤが、その数時間後、テヘランで暗殺された。暗殺がペゼシュキアンの改革と西側との関係改善の努力を妨害する効果を併せ狙ったものであったとすれば、その目的においては成功である。
いずれにせよ、ペゼシュキアンの外交が始動する前に、旧態依然たる強硬路線を踏襲することを強いられる怖れが出て来たようである。