ジェシカ・パーカー、BBCニュース(キーウ)
ウクライナ南部の都市ヘルソンの市場で1日、ロシアによる砲撃があり、6人が殺害された。ウクライナではこの直前、戦没者を追悼するための黙祷(もくとう)が始まっていた。
地元当局によると、ロシア軍の砲撃は現地時間午前9時ごろにあったという。ウクライナ全土で人々が、戦没者を追悼するために足を止めた矢先のことだった。
1日の「防衛者の日」は、軍隊をたたえるために毎年設定されている。
この日のヘルソンでの砲撃は、市場やバス停の近くであった。おそらくロシアの「バレル砲」によるものだろうと、現地検察当局は述べている。
地元メディアの写真には、果物の箱のそばで歩道に倒れている遺体が写っていた。
ロシアは、民間人を標的にしているとの見方を繰り返し否定している。
当初の報道では、この日の砲撃で7人が死亡したとされていたが、医師が「死亡と見なされていた」1人を救うことができたという。
ヘルソンは、ロシアが2022年2月にウクライナへの全面侵攻を開始した直後に占領されが、同年11月にウクライナによって解放された。
現在も、激しい戦闘が繰り広げられているドニプロ川対岸の最前線に、極めて近い場所にある。
首都キーウやウクライナ全土の人々はこの日の午前8時55分から、10分間の黙祷を捧げた。
キーウのマイダン広場にある追悼施設には、小さな群衆ができていた。
ロシアの全面侵攻が始まって以来、ここには戦死した兵士たちの額縁に入った写真と共に、何千というウクライナの国旗が供えられている。
ハリナさんの29歳の息子、コスチャンティンさんは、2022年7月にへルソン州での戦いで戦死した。
「息子は小隊のリーダーで、中尉だった」とハリナさんはBBCに語り、コスチャンティンさんの写真にしがみついて涙をこらえた。
「とてもいい子だった。最近、息子の仲間たちがやってきて、息子がどのように戦い、どのように死んでいったかを話してくれた。とてもつらかった」
黙祷が始まると、交通量の多い道路の真ん中で車が止まり、人々が厳粛な様子で立ち止まった。感情と悲しみと国の誇りが強く感じられる瞬間だ。
やがて、静まり返った通りにウクライナの国歌が響き渡った。
南部へルソン市で空爆が行われたのはその頃だった。
これとは別に、ザポリッジャでも、ロシアの滑空弾が住宅地や工業地帯を直撃し、21人が負傷したと報じられている。
ウクライナ東部の最前線では、ロシア軍が猛攻を続けている。ドネツク州のヴァディム・フィラシキン知事は、ロシア軍がヴフレダールの中心部にほぼ到達したと述べた。
フィラシキン氏によると、爆撃で破壊された町にはわずか107人しか残っておらず、子どもたちはすでに避難しており、人道支援を届けることは「ほとんど不可能」だという。
ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領は、「防衛者の日」の一環として、戦闘で亡くなった人々に敬意を表し、「ウクライナが犠牲にならないために、あなた方は自らを犠牲にしたのだ」と語った。
ユリヤさんのパートナーのボグダンさんは、ロシア軍に捕らえられる前、南部マリウポリで壊滅的な包囲が続く間、軍の衛生兵として人々を治療していた。
「私には5歳の娘がいて、娘にはとても助けられている。私は強くなる必要がある。そして、今は母親であり父親でもある必要がある」と、ユリヤさんは語った。
ボグダンさんは2022年7月、オレニフカ刑務所の爆発で死亡した数十人のうちの1人だった。ロシアはこれについてはウクライナのミサイル攻撃だと非難したが、ウクライナは戦争犯罪の証拠を隠滅するためのロシアによる意図的な試みだと考えている。
数え切れないほどのウクライナの家族にとって、追悼は公的なものであると同時に、私的な行為でもある。
ユリヤさんは、娘に父親のことを思い出してほしいと言う。
「夫が私たちのためにしてくれたこと、そして私たちが今持っているものはすべて夫のおかげ。彼は私たちを守ってくれた」
(英語記事 Six dead in market attack as Ukraine remembers war dead