2025年1月12日(日)

経済の常識 VS 政策の非常識

2024年12月7日

 東京都知事選で、都政と関係のない主張を掲載したポスター(本欄「<都知事選のニュースはもう、うんざり…?>多すぎる立候補者数、不適切なポスターを減らすシンプルな方法を示そう」2024年6月25日、参照)や、NHKから国民を守る党の立花孝志党首が兵庫県知事選への立候補は自分が当選するためではなく、斎藤氏を当選させるためだとしたことには、マスコミは明白に批判的だった。

 つまり、このような逸脱を許す現行の公職選挙法の欠陥に批判的だったのだ。であれば、公職選挙法のネットに関する細かく曖昧な規定を批判しても良いのではないだろうか。

 公職選挙法の目的は、「選挙が選挙人の自由に表明せる意思によつて公明且つ適正に行われることを確保」である。ネットはまさに候補者が「自由に」考え表明できる手段であり、もっとこの手段を活用すべきではないか。

 候補者の考えを伝える手段を制限するのは、すでに知事である人や議員である人を有利にする。知事などは、その動静が地方紙や地方テレビ局で伝えられ、仕事が毎日選挙運動しているようなものだ。ネット利用の制限は、新規に政治に参入するのを制限することになる。

 左翼的心情というのは、現状が正しくないのではないかという感情から発するものだと筆者は思っている。キング牧師は、「聖トマス・アクィナスによれば、不当な法とは、永久法(神の法)や自然法(人間の良心から生まれた法)に根拠を持たない人定法(人の定めた法)のことである」と書いている。永久法や自然法に従うことで、黒人を差別する誤った人定法は変えられるし、変えなければならないと言ったのである。日本のマスコミは左翼的であるが、現状肯定の心情から出発しているような気がしてならない。

専門家の協力を得ることは違法なのか

 候補者の政治に対する思いはあるだろうが、それをどう売り込むのが良いのか、自分の思いだけではなく、反論に対してどう答えるのかなどを一緒に考えてくれる人に報酬を払えないのはおかしいのではないか。

 さらに、国民は、政治家のイメージにも評価を下している。ネットで閣僚のひな壇写真が「だらし内閣」と揶揄されたり、石破茂首相の外交マナーが取りざたされたりするのは、首相は日本を代表する人だから、中身も外身も見栄え良くしていて欲しいと思っている国民が多いからだ。

 要するに、政治にまつわるすべてのことに包括的で専門的なアドバイザーは必要で、選挙の際に、それに報酬を払うなというのは、政治を劣化させるのではないか。

 他にも大きな問題がある。神戸のPR会社の社長としては、「東京の大手広告代理店なんかに頼まなくても、私のような小さな会社だって、すごいことができるのよ、だから、他の人も私のところに頼んで」と自慢しただけだと思うが、それがまずかった。また、兵庫県からその後の仕事を狙って斎藤知事に近づいたのではないかという憶測が聞かれたが、兵庫県や市町村の選挙はそれぞれ4年に1回しかない。兵庫県の行政にかかわる仕事だったのかもしれないが、それには限度がある。


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