民主主義、自由競争
グローバリズムの崩壊
1990年前後の社会主義の崩壊に始まる「冷戦後グローバリズムの時代」とは、いうまでもなく、人、モノ、情報、資本の国境を越えた、ほとんど無制限の移動であった。この自由な移動を支えたものは、一つは、世界規模の自由な市場競争であり、もう一つは、自由や民主主義、人権思想、法の支配などの「リベラルな価値」であった。その中心には、情報・金融革命を伴った米国主導のグローバル市場競争と、米国が掲げるリベラルな価値による国際秩序形成という目論見があった。そして、米国はその両者ともに失敗した。今日、冷戦後のグローバリズムを支える二つの支柱が崩壊しつつある。
グローバルな市場競争は、結果として、資源やイノベーションをめぐる激しい国家間競争をもたらし、ボーダーレスな自由競争どころか、新重商主義ともいうべき国家主導の経済戦略や保護主義をもたらした。また、2008年のリーマンショック以降の経済運営は、政府によるかつてない大規模な財政・金融の発動と新たな技術開発へ向けた国家的戦略をもたらしたが、それは、富や資産の途方もない格差を生み出した。
リベラルな価値による世界秩序の形成が失敗したことは論を俟たない。イスラム過激派の台頭、ロシア・ウクライナ戦争、イスラエルとパレスチナ、中東の不安定化、中国やインドの大国化とグローバル・サウスの台頭と並べれば、自由や民主主義、法の支配というリベラルな価値の普遍主義を掲げる米国の国際主義がもはや機能しないことは明らかである。
それをさしあたりは「冷戦後グローバリズムの失敗」といってもよいが、もっと長い歴史的スパンで見れば、おおよそ100年前、第一次世界大戦後に生み出された、米国による「リベラルな世界秩序(自由と民主主義を守る国際主義)」と「リベラルな経済運営(市場競争と補完的な福祉主義)」の失敗を意味している。端的にいえば、自由と民主主義、法の支配、公正な市場競争、オーソドックスな経済政策を組み合わせて社会秩序を維持しようとする「近代リベラリズム」の失敗である。
このことの意味は大変に大きい。確かに、米国および西側諸国はこの「近代リベラリズム」を掲げることで社会主義のソ連に勝利した。その結果、冷戦後の世界にあっては、西側の「近代リベラリズム」の普遍化・世界化が当然と見なされた。だが、実際には、ロシアや中国、グローバル・サウスはともかくとして、肝心の欧米自身が、過激なまでの市場競争、大衆的なポピュリズム政治、とめどない技術開発、過剰情報、国境を踏み越える移民、バラまかれる資本といった「近代リベラリズムの歯止めなき暴走」によって社会的な混乱を引き起こしたのである。
この混乱が、欧米のオーソドックスな価値観である「近代リベラリズム」に依然として寄りかかる「既存の勢力」に対する不信感を生み出した。恵まれた出自と学歴をもち、自由な市場競争と能力主義のもとで富と地位を手にした勝ち組、リベラリズムの枠内でしかものを考えない既存のマス・メディア、各種の既得権益をもった専門家、少数派の権利と多様性などといういかにももっともな価値に寄りかかる知的な人々といった「既存の勢力」への不満がトランプ現象の背後にはある。トランプ支持者にとっては、既存の勢力は決して「ホンネ」で話していない。もはや、ルールに従った自由や民主主義、オーソドックスな経済政策、それに公正な市場競争、少数派の人権などというリベラルな伝統的価値はすでに破たんしているのである。