インドでは加工食品には再販価格設定が一般的なのはなぜか
インドでは酒類・食用油・菓子類・ジュースなどの加工食品一般には商品の包装にメーカーの販売参考価格が印刷されている。店頭ではこの販売参考価格が定価として機能しており交渉の余地はない。店側の手間も省けメーカーも利潤が確保できるのでこうした再販価格制度が一般化しているのだろうか。
日本はじめ先進国ではこのような再販価格制度は独占禁止法により原則禁止されている事情と比較すると興味深い。ちなみに筆者の知る限りスリランカでも加工食品の再販価格制度は一般的である。
なお、油断していると店側は販売参考価格に上乗せしてキリのいい値段を提示することが多々あるので要注意だ。例えば販売参考価格54ルピーのアイスクリームを60ルピーで売りつけようとする。筆者が54ルピーであると指摘すると例えば「冷凍庫で保管しているので電気代込みで60ルピー」というような強引な屁理屈で押してくる。

不可解な市内路線バス、公共トイレの利用料金
多少不便であるが三輪車タクシーに比較すれば格段に割安なのでインドでは公共の市内路線バスを利用することが多い。不思議なことに往路と復路で料金が異なることが多々ある。
路線バスの料金は日本円で20円弱からせいぜい100円程度であり料金は12ルピーとか23ルピーとか端数が多い。ちなみに1ルピーは日本円で1円85銭くらい。例えば切符に明記されている正規料金23ルピーに対して20ルピー札と10ルピー硬貨を車掌に渡すと5ルピー硬貨を釣銭として返すことが多い。端数の2ルピーは車掌のポケットマネーになる。車掌にクレームすると小銭がないという素振りをする。
公共トイレでは小用は無料、大用は5ルピーというのが一般的でありトイレの入り口に明記されている。ところがトイレの門番は外国人とみて平気で理由もなく10ルピーを要求したり、小用にも関わらず5ルピーを要求したりすることが多い。筆者が壁に書かれた料金規定を指さすとたいていの場合門番はあっさり要求を取り下げたが。
三輪車タクシーや店の売り子や路線バスの車掌やトイレの門番の金銭に対する“いい加減”な対応に最初は腹を立てていたが、次第に彼らの行動原理が理解できてきた。
イスラム教では喜捨(ザカート)がイスラム教徒の神聖な義務の一つとされている。自分の財産の一部をアラーの神に差し出さねばならないという義務である。自分の身分や財力に応じて喜捨の金額を決めるのだ。
ヒンズー教でもカースト上位者には喜捨の義務がある。インドでは「貧しい人」に金銭を恵むのも喜捨の一つである。外国人観光客という経済的に余裕のある身分の人間はサービスの対価として応分の小銭を恵むべきということなのだろう。