独裁体制を選ぶ一つの理由
上記の論説でリッチバーグ教授は、ハイチ、フィリピン、インドネシア等の例を取り上げて、独裁体制を倒しても、その後も混乱が続き、結局、独裁体制に戻る例が多いと指摘している。自由と民主主義を当然視する米国人には理解が困難かも知れないが、民主主義というのは、意志決定に時間がかかり、しかも、議論を尽くして出来る限り全員のコンセンサスを取ろうとするが、全ての人を満足させることはできない。
他方、独裁政治の特色は、決定の迅速さだ(しかも、決定に反対する不満分子は排除する)。その結果、民衆は、その迅速さ(往々にして多数の国民が望む決断をするのでポピュリズムと言い換えても良い)から独裁政治に魅入られてしまう。
別の見方をすれば、民主主義では決定の結果により国民が不利益を被っても、それは国民が決めた事であり、国民は甘受しなければならない。ところが、独裁制ならば、国民を満足させられない独裁者は国民が蜂起して排除し,新しい独裁者を選べば良いということになる。国民は、責任を取らずに成果だけ得られるという都合の良い体制との見方も出来る。
中東では、2010年に「アラブの春」と呼ばれる一連の独裁体制の崩壊が起きたが、チュニジア、エジプトでは独裁体制に回帰し、イエメン、シリア、リビアでは依然として国内が混乱している。「アラブの春」とは、西側が信じたかった「アラブの民衆が民主主義を求めた」という物語ではなく、アラブの民衆が自分達の要求を満足させられない独裁者を排除し、新たな独裁者を求めただけのように思える。

