オランダでは地域の家庭医に全国民が登録し、普段から健康状態の相談相手になる。家庭医は住民の人生観を熟知し、暮らしの延長線上に安楽死がある。安楽死を決めると、その日に家族や友人を集め、最後の別れの場を持つことが多い。
合法化から20年後の2023年の安楽死者は9068人に達した。全死者の5.4%、20人に1人になる。かなり多い。日常生活に定着していると言えるだろう。
昨年2月には、脳出血で療養中の元首相が妻と一緒に安楽死した。共に93歳。妻は「互いの存在なしには生きられない」と理由を話した。こうした同伴死は22年に29組もある。
合法化した時の政権は、労働党のコック首相だった。1994年に長期政権党のキリスト教民主アピールが敗北し、労働党主導の連立内閣が続いていた。日本の介護保険法が、自民党でなく自社さ政権下で審議され成立した状況を思い起こさせる。
注目したいのは、オランダでは同時期に同性婚法をやはり世界で初めて可決したことだ。その後、同性婚は欧州連合(EU)諸国をはじめ世界39カ国で法制化され普及していく。安楽死法と並んで、法制化によって全国民が人生や生き方についてより多くの選択肢を持つことになった。
様々な形の安楽死
安楽死は隣国のベルギー、ルクセンブルクでも合法になり、16年にはカナダで、21年にはカソリック信者が多いスペイン、2年後にはポルトガルでも法制化された。現在はニュージーランド、イタリア、米国の10州などで合法化されている。
安楽死には3タイプある。医師が致死薬を注射する「積極的安楽死」、あるいは「狭義の安楽死」と呼ぶタイプ。もうひとつは、本人が医師から渡された致死薬を自身で服用したり、致死薬を含む点滴のストッパーを本人が開ける「自殺幇助」「自死幇助」である。
オランダでは、確実性が高い積極的安楽死が圧倒的に多いが、2タイプを区別せずにともに安楽死としている。ベルギーやカナダ、スペインなども同様だ。
これに対し「自殺幇助」しか安楽死と認めていないのが米国とスイス、オーストリアなどである。積極的安楽死は殺人になる。致死薬の服用は本人次第で、医師は関知しない。本人の自己決定を重んじるためだ。
従って、想定上は3タイプとなるが、積極的安楽死だけを採用している国はないので、現実には2タイプとなる。
オランダを追うように急増しているのがカナダだ。国より1年早く15年に合法化したケベック州では、10年後には死者の5.1%が安楽死だという。オランダでは施行10年後には2%台だった。立ち会うのは医師だけでなく、ナース・プラクティショナー(上級看護師)でもよく、21年からは終末期の条件を外すなど規制緩和を進めてきた。
日本でも語られる自身の死を決めた人の〝声〟
日本にも、同じように自身の死を自分で決めたい人はいる。だが日本では安楽死法はない。そこで、作家の橋田寿賀子さんは安楽死のために外国人を受け入れるスイス渡航を願望し、2017年に『安楽死で死なせて下さい』(文春新書)を著した。
実際にスイスに渡る人たちが現れだした。メディアで次々報じられている。
徐々に身体機能を失っていく難病の多系統萎縮症(MSA)を患う小島ミナさん(当時50歳)が車いす姿でスイスに着いたのは18年11月だった。2人の姉が同行し、受け入れ団体の「ライフサークル」に向かった。2人の医師に会い、必要書類を渡して到着3日後には、致死薬入りの点滴のストッパーを自身で外して穏やかに旅立った。
その様子をカメラが丁寧に追い続け、翌年6月に「NHKスペシャル」で放映された。点滴の脇でベッドに横たわる小島さんの最期の姿もきちんと映され、画面を見た佐伯啓思京都大学名誉教授は後日、朝日新聞で「静謐な厳粛さ」と記した。小島さんに密着取材したドキュメント本『安楽死を遂げた日本人』(宮下洋一著)も刊行され、本人の気持ちが多くの人に知られることになる。
スイスで安楽死ができる要件に終末期は入っていない。小島さんは「人工呼吸器で息をし、胃ろうで栄養を取り、おむつを取り替えてもらう。そんな寝たきり状態になる前に自分の人生を閉じたい。私が私であるうちに安楽死を望みます」と周囲に話していたという。

