かつては料亭が定番
55年体制時、政治家の密談といえば、料亭とホテルなどと相場が決まっていた。しかし、昨今の政治改革の動きと相まってそうした場は避けられ、代わって議事堂内や議員会館の会議室などに利用が移っている。ただ、議員会館は早朝から陳情客、役所関係者らの出入りが多い。
同志の議員が策謀を凝らし、敵対議員同士が妥協点を探るなどの動きを横目で眺めてきた元国会図書館幹部職員は、「大げさな話し合いではなく、短時間ちょっと意見交換したいが、表ざたにするのも避けたいといった場合は国会図書館が好都合だ。首相も、その目的で利用したのではないか」とみる。
時代が変わっても、密談はいまなお永田町政治にはつきものであり、権力者たちは、その場所探しには苦心してきた。
1955年(昭和30年)、保守合同に向けて政敵同士だった民主党の老政客、三木武吉と自由党の人情政治家、大野伴睦が話し合ったのは、芝・高輪のアラビア石油創業者、山下太郎氏の邸宅だった。事が漏れると、日本の政治史を塗り替える偉業が挫折するとあって、日曜日の夜という人目に付かない時刻を選んだ。
中曽根康弘首相は東京・谷中の臨済宗のお寺、山岡鉄ゆかりの全生庵を利用した。参禅、修養のために公務の合間にしばしば訪れていたところで、送別会など知人との小宴も開いていたという証言がある。
前首相、岸田文雄氏は理髪店好きで知られ、店での密会説が取りざたされた。時事通信が、岸田氏の散髪通いの詳細を報じたことがある(時事ドットコム、2023年12月15日「岸田首相の散髪、なぜ多い? 年24回、安倍・菅氏の2倍」)。神田の行きつけの店での平均滞在時間が1時間45分で、どんなメニューで料金はいくらまでと、細にわたって報じている。
「心を落ち着け政権立て直しの一手をさぐっているのかもしれない」と伝えているが、人と会っていたことは確認できなかったようだ。岸田氏は23年4月、和歌山市を遊説中、爆発物で襲撃されたが、その日も帰京後に訪れたという。
やや滑稽な話を紹介する。
1988(昭和63)年、中曽根氏の自民党総裁任期切れに伴う総裁選のさなか名乗りを上げていた竹下登幹事長(後首相)と安倍晋太郎総務会長(安倍晋三首相の父、後幹事長)がひそかに会談した。
築地の料亭に狙いをつけた記者団が殺到し、待つこと数刻。一台の人力車がスーッと出てきて、記者団を振り払って大通りの方へ。時ならぬ競走が展開され、200~300メートル走って止まった車から降りてきたのは安倍氏そのひと。
人懐っこ笑顔で笑いかけられ、息を切らせた記者団は質問を浴びせる気力を失っていた。メディアを煙に巻いてやろうという安倍氏の作戦勝ちだった。