日本食ブームを受けて、海外での短粒種(ジャポニカ)米の需要拡大が見込まれています。外国人に限らず、最近は海外で活躍する日本人も増えていますので、今後はそうした人たちの需要も高まっていくかもしれません。
筆者は、1989年に米国に渡り、カリフォルニアで良質米の生産を始めました。その間、食べ慣れたご飯の味を求める海外在住の日本人の方々にもコメを送り届けてきました。
カリフォルニアでの生産を始めてからまもなく、ブラジルから注文が入りました。届け先は、アマゾンの開拓地でした。コメはコンテナに詰め、カリフォルニアの港からブラジル南部のサントス港やアマゾン川の河口にあるベレン港まで海上輸送。そこからアマゾン川を上り、途中から陸路へ。何週間もかけてアマゾンの開拓地まで運んでもらいました。
そこで筆者のコメを待っていたのは、日系ブラジル人の方々でした。今では3世、4世の時代になっていますが、明治後期から昭和初期、第二次世界大戦直後までの間、農業開拓やその関連事業のために日本から多くの人が移り住みました。日本人が切り拓いたアマゾンの開拓地では、日本と同じようにご飯としてコメを炊いて食べる文化が受け継がれていたのです。最盛期には、毎月コンテナ10本(約200トン)をカリフォルニアから送っていました。
アフリカから注文が入ったこともあります。50ポンド(約23キロ)の紙製コメ袋を850袋。包装は、コメ袋をさらにコットンバッグ(木綿の丈夫な袋)で包むという特別仕様の出荷でした。
こちらは、アフリカ各国に置かれている日本大使館などの在外公館や、日系企業の駐在員事務所で働く日本人スタッフとその家族が届け先。カリフォルニアから送ったコメは、南アフリカのケープタウン港でトラックに積み替えられ、アフリカ大陸を縦断するように運ばれました。
アフリカの道路は、舗装されていないデコボコ道がほとんど。途中で、何度も人力による積み替えが行われるため、紙製のコメ袋をコットンバッグで二重包装する必要があったのです。