2025年12月6日(土)

田部康喜のTV読本

2025年5月28日

 今でも毎日続けているように、格付け会社のムーディーズのリポートとウォールストリートジャーナルを読んでは、経営や資産、将来性などをにらんで株価が安いものを買い続ける投資術も編み出した。「モク拾い」つまりタバコの吸い殻でも、一口は吸えるところがあることから「モク拾い投資」と呼んでいる。もちろん、運用資金が膨らむにつれて、モク拾いではなく米国株式市場の優良銘柄であるブルーチップやコカ・コーラなどに大量の買いを入れるようになった。

 日本でも多く出版されている、いわゆるバフェット氏の投資術に関する大量の著作が必ず言及する「分散投資と長期保有」は、必ずしも正しくはない。

 そもそも、バークシャー・ハサウェイの社名は、1960年代に買収しようとして創業者一族と一株当たりの価格を合意したにもかかわらず、いざ株式譲渡の段に至って引き渡し株式価格を引き上げたことにさかのぼる。この会社は、米北部にあった繊維製造会社を中核として保険などの関連会社も持っていた。綿花を繊維にする製法の変化などによって、繊維製造会社は綿花の集積地である南部に移転していったにもかかわらず、北部に残った結果として経営危機に陥っていた。

 創業者一族の譲渡の約束が反故にされたことから、バフェット氏は当時としては運用できる資金の中から大量にこの会社の株式の買収に打って出たのである。社名をその後も変えていないのは、この時の体験を忘れないためであると筆者は想像する。

バフェット氏が通した信念

 『スノーボール改訂新装版 ウォーレン・バフェット伝』の白眉は、1990年代に起きた、ソロモン・ブラザーズの不正取引のスキャンダルである。米国債の引き受けに際して、他の名義などを駆使して規定の規模をはるかに上回って買い付けていた。取締役会には、この取引の不正の事実は一切伝えられていなかった。

 取締役の一員だったバフェット氏が会長の代行としてソロモン・ブラザーズの経営にメスを入れた。米金融当局はソロモン・ブラザーズのみならず、取締役の一員だったバフェット氏までも一時は刑事訴追する意向もあった。そうなった場合は、同社は倒産するとともに、すでに清廉潔白な投資家としての名声を得ていたバフェット氏の名前は地に落ちたはずである。

 結果からいえば、米国債取引部門の数人が刑事責任を問われてスキャンダルは終焉した。財務省や米証券取引委員会(SEC)、米中央銀行に相当する米連邦準備理事会(FRB)などのトップらのもとをバフェット氏は訪ねて、ソロモン・ブラザーズの企業風土を一変させることと市場の安定のために資金を集めることを約束して回った。当時の財務長官は、伝記の筆者であるアリス・シュローダー氏のインタビューに対して、バフェット氏の清廉性には感服したと語っている。

 バフェット氏は、アリス・シュローダー氏が「どうしてそんなにお金を儲けるのが大事だと思うようになったの?」という質問に、彼はしばらく遠くに目をやり、思いやったうえで次のように答えた。ソロモンの危機にあたっての経営トップとしての活動を裏付ける。

 「すべての莫大な富の背後には犯罪がある、と(フランスの小説家)バルザックは言った。それはバークシャー・ハサウェイにはあてはまらない」

 ソロモン事件について、下院の聴聞を受けたバフェット氏は次のように言い放った。

 「会社のために働いて損害を出すのは理解できます。しかし、会社の評判を少しでも損ねたら容赦しません」

 この言葉は、議員たちの心を打った。

 バフェット氏の個性の多くが「正直であること」「説教好き」「てきぱきやること」「単純な行動原理」にある、と伝記の筆者のアリス・シュローダー氏は述べている。

 ソロモン本社に戻ったバフェット氏は社員宛てに1枚の手紙を書いた。違法行為と反倫理的行為をすべて報告するように求めた。

 「疑いがあるときには私に電話すること」と、自宅の電話番号を添えた。そして「私たちは『超一流のビジネスを超一流のやり方で』」と書いた。バフェット氏は「新聞一面テスト」と自分で名付けた原則も告げた。

 「自分がもくろんでいることがそっくりそのまま翌朝の地元紙の一面記事で批判され、それを配偶者や子供や友人が読む―そんなことを果たして望んでいるかどうか、社員のみなさんに自問してもらいたい」と。


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