2025年12月6日(土)

田部康喜のTV読本

2025年5月28日

ITバブルを乗り越えた

 ちなみに、バフェット氏がメディアに関心が深かったことも、日本ではあまり知られていない。オーナーだった地元の『オマハ・サン』紙は、70年代初めに地元にあった養護施設が米国内の多数の人々に手紙による献金を募って、その額が巨額となっているのに使途があきらかになっていない疑惑を明らかにした。この報道はピューリッツアー賞の地域調査報道部門で賞を獲得した。取材対象の養護施設の経営分析などにバフェット氏も加わった。

 のちに、ワシントンポストの創業者一族で未亡人になった、キャサリン・グラハム氏と知己になって、取締役会に加わり経営の助言をするとともに、友人となった。

 テレビ局を買収するチャンスがあったにもかかわらず、逃したのが大きな失敗のひとつだと、バフェット氏は述懐している。

 「ITバブル」――90年代から2000年代初頭にかけて、インターネット関連の会社のみならず、ホームページのURLに「.com」がついていればインドネシアの木材会社の株まで買われた、投機のブーム。このバブルを乗り越えたことでも、バフェット氏は知られている。「過去にもブームは何度もあった。自動車ブームでは2000社ぐらいもできたが、今はどうか。鉄道ブームもあった」と、判断したために投資しなかった。

 バークシャー・ハサウェイの株式は、ITバブルに遅れたとして一時は売られて下落し、バブルが崩壊すると上昇に転じた。実は、バフェット氏自身がPCなどに興味がなかった。ビル・ゲイツ氏らの友人を得て、自宅にPCを設置したが、その用途はもっぱらオンラインで大好きなブリッジをすることと、飛行機の操縦ゲームで気分を変えるときだけだ。

経済ジャーナリズムのあるべき姿

 『スノーボール改訂新装版 ウォーレン・バフェット伝』による、バフェット氏の軌跡をたどる時、経済ジャーナリズムの貧困を思わざるを得ない。四半期の決算の内容や資産内容によって、その企業を誉めそやしたかと思えば、しばらくすると悪化した内容をもとに経営危機が迫っているかのような記事を書く。

 バフェット氏のように資料と新聞を読みふけり、時としてその企業にアポイントもなく訪れて経営内容を聴く。株価が購入の基準となるのはもちろんだが、経営者や経営内容、将来性、ライバル企業との比較など、多面的に分析する。

 バークシャー・ハサウェイしかり、ソフトバンクグループしかり。経済ジャーナリズムは本来、当たり前であるが、投機の材料を提供するものではない。バフェット氏のほうが、経済ジャーナリストを名乗る人々よりも、ジャーナリストといえるかもしれない。

 バフェット氏の後を追っているような孫氏は、AIをはじめとする次世代の産業にかけている。現在進行形の投資戦略がひと段落した時点、それはかなり先かもしれないが、新たな伝記が紡ぎ出されるだろう。

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