女性の目線が随所に
活かされた家
豊かな緑に囲まれた旧宅は高台にあり、坂の途中に小体な表門を構えている。中に入るなり、別世界に迷い込んだような静寂を感じるのは敷地500坪の広さゆえだろう。
建築当時、個人宅には30坪の建坪制限があり、画家だった夫と別名義で2棟を造った。設計は山口文象に依頼し、芙美子は文象の弟子と大工を連れて京都に見学に赴くほどの身の入れようだった。
芙美子名義の棟にある玄関を入ると、まず3畳の取次の間があり、客間へとつながる。主に原稿を待つ編集者や記者が待機する場所だったが、床付きの8畳に坪庭がついて、簡素ながら落ち着きある一室になっている。
だが、この棟の見どころは何といっても茶の間だろう。数寄屋風の6畳の間がそうと思えぬほどゆったりと感じられる。押し入れの上段を収納式の神棚とし、下段に多くの抽斗を設けて収納の用とした。限られた建坪の中、工夫を凝らして広くすっきりと見せようとしているのだ。
丹精された庭に面して幅広の廊下が回され、ガラス戸越しにたっぷりと光が入る。初夏のこの日は戸が開け放たれ、さわやかな風が入ってきていた。東西南北、風が吹き抜ける家が日本の理想、そう語っていた芙美子のこだわりが詰まったこの部屋は、一家団欒の間であった。
客間より家族の集う場所をより快適に、それが芙美子の思いだった。川端康成、太宰治、坂口安吾ら、親しい作家はこの部屋に招じ入れられ、その居心地を好んでいたという。この棟には他に、使用人部屋や台所、風呂場などの水回りがあり、屋根裏に収納スペースが設けられている。
隣り合うもう一つの棟には寝室と次の間、芙美子の書斎と書庫、そして夫の大きなアトリエがあった。当初は納戸として造られたという書斎は6畳間、庭に向けて雪見障子が立てられ、執筆用の大きな座卓が置かれている。傍らには大ぶりの火鉢が据えられ、いまにも芙美子が原稿に向かうかのような気配が漂う。この室内も整然と感じるのは、箪笥やクローゼットが襖の内に隠されているからだろう。
書斎の裏手は茶庭風に造作されており、蹲が置かれ、低い躙り口まで設けている。正統にこだわるのではなく、住む人間の意向が反映された造りのようだが、それでもけっして品位を失ってはいない。
全館を観て感じるのは、至るところ、狭い空間をいかに広くすっきり見せるかの工夫が凝らされ、女性ならではの感性が活かされていることだろう。思えば、これまでの名建築は男性の目線で造られたものが多く、立派に見せたいという要らぬ自己顕示が垣間見えることがある。そんなものの少しも感じられないことが、この家の居心地の良さを生んでいるのかもしれない。
