2025年12月5日(金)

偉人の愛した一室

2025年6月29日

大衆に愛された作家
林芙美子の人生

 20代後半で売れっ子となった芙美子は、以降、右肩上がりの人生を歩む。一方、日中戦争から第二次世界大戦にかけ、その人気を利用しようとする政府や軍部によって戦地に派遣され、多くの新聞、雑誌に寄稿して戦意高揚の役を担う。芙美子の戦地報告は人気が高く、ジャーナリズムもそれに乗ろうとしたからだ。

 戦後に批判を受けると、それを払拭しようとするかのように、戦争に打ちのめされた人々の哀しみをひたすらに書き続けた。中から『浮雲』のような名作も生まれたが、多忙な日々が持病の心臓病を悪化させ、51(昭和26)年に急死する。享年47。3畳の貸間暮らしから一転、手塩にかけたこの邸宅で暮らしたのはわずか10年に満たなかった。

 葬儀はこの旧宅で行われ、川端康成が葬儀委員長を務めた。一般の弔問客の中には白い割烹着姿が多く見受けられた。大衆に愛された作家の面目躍如といえよう。

芙美子が暮らしていた時は、広い庭の一面に孟宗竹が植えられていた。葬儀の際には一般弔問客による長蛇の列ができたそうだ
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Wedge 2024年7月号より
あなたの日常が危ない 現場搾取社会を変えよう
あなたの日常が危ない 現場搾取社会を変えよう

水道、電気、介護、ごみ収集……。私たちの日常は数々のエッセンシャルワーカー(EW)によって支えられている。しかし、現場の最前線で奮闘する彼らは長年軽視され、あらゆる現場は崩壊の危機に瀕している。これ以上の現場搾取は許されない。EWの待遇改善のため、そして、日本人の固定観念を変えるため、小誌取材班は現場を歩いた。


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