大衆に愛された作家
林芙美子の人生
20代後半で売れっ子となった芙美子は、以降、右肩上がりの人生を歩む。一方、日中戦争から第二次世界大戦にかけ、その人気を利用しようとする政府や軍部によって戦地に派遣され、多くの新聞、雑誌に寄稿して戦意高揚の役を担う。芙美子の戦地報告は人気が高く、ジャーナリズムもそれに乗ろうとしたからだ。
戦後に批判を受けると、それを払拭しようとするかのように、戦争に打ちのめされた人々の哀しみをひたすらに書き続けた。中から『浮雲』のような名作も生まれたが、多忙な日々が持病の心臓病を悪化させ、51(昭和26)年に急死する。享年47。3畳の貸間暮らしから一転、手塩にかけたこの邸宅で暮らしたのはわずか10年に満たなかった。
葬儀はこの旧宅で行われ、川端康成が葬儀委員長を務めた。一般の弔問客の中には白い割烹着姿が多く見受けられた。大衆に愛された作家の面目躍如といえよう。
