結局、岸産業の「扉」は
どこがどういいのか?
簡潔さを追究するのが職人という松留さんの定義、「いいよね」というひと言に込められた施主の思い。
実を言うと、筆者はこのふたつを十分に吟味も咀嚼もしないまま、岸産業を後にしてしまったのだった。
数日考え続けていると、なぜか、堺市の文化観光施設「さかい利晶の杜」で見た、千利休の茶室(再現)の映像が頭に浮かんできた。
利休の茶室は秀吉の金の茶室とは対極的な、簡素の極みであった。しかし簡素ではあっても決して地味ではなかった。華があるのだ。無駄を削ぎ落とされ、磨き尽くされたものの精華、とでも言うべき華があった。
そう、岸産業の扉は美しいのだ。
無駄な装飾など一切なく、ミリ単位の精度で組み上げられ、銀色のステンレスの表面に寸分の傷もつけまいと細心の注意を払って取り付けられた扉は、簡素で、そして美しい。
松留さんの言う、いや応なく簡潔を志向してしまう職人魂は、もしかすると日本人の心に通底する美意識とつながっているのではないか。そして施主の「いいよね」は、余すところなく表出された美意識に対する、感嘆の声ではないだろうか。
心の底にある美意識を思う存分に発揮できる職場は、オートメーションの流れ作業からは絶対に味わえない、「めちゃくちゃ」な楽しさに満ち溢れているに違いない。
岸産業は、ニッチな業界とオーダーメードという業態が生んだ、ものづくりのサンクチュアリなのだ。
