教員にも忍び寄る「9月1日」
「9月1日問題」は子どもだけの問題ではない。実際、筆者の身近な場所でも若手教員が9月1日以降に出勤できなくなった事例が近年起きており、児童生徒の不登校同様に近年の教員の休職も深刻である。
23年度の公立学校教員の「人事行政状況調査」結果によれば、教育職員の精神疾患による休職者数は、7119人(前年度比580増)で、過去最多となっている。精神疾患で病気休暇を取得した人を加えると1万3045人(同848人増)に上る。
さらに、教員不足も深刻である。21年度始業日時点での小中学校の「教師不足」人数は2086人。筆者が管理職として勤務していた10年以上の間、教頭や教務主任が担任を兼務する状況は常態化していた。
COCOLOプランにある「1人1台端末を活用した心の変化の把握」は理念としては素晴らしいが、その実行には膨大な労力が伴う。ICT活用による効率化は理念としては有効だが、現場の実情を踏まえれば、実行には相応の人的・時間的負担が伴う。
制度疲労を超えて、教育の再設計へ
こうして見てくると、「9月1日問題」は子どもと教員の双方に影響を及ぼし、教育現場全体に制度疲労の兆候をもたらしていることが明らかである。子どもたちは複雑化する社会環境の中で心身のバランスを崩しやすくなり、教員はその対応に追われるあまり、自らの健康や生活を犠牲にしている。この悪循環は、教育制度そのものの構造的な限界を示している。
筆者は長年、部活動改革にも取り組んできたが、これは学校の在り方を根本から問い直す試みであり、「150年に一度の改革」とも言われる。部活動の制度疲労は、学校教育全体の縮図でもある。もはや「問題が起きたら対応する」という対症療法では限界であり、「問題を生まない制度設計」への転換が求められている。
率直に言えば、人が集まって教育を行う「学校」という仕組みそのものを、今こそ再定義すべき時期に来ているのではないか。部活動改革同様に既存の枠組みにとらわれない柔軟な発想が必要だ。COCOLOプランのような新たな試みも、単なる施策の一つとしてではなく、教育の再設計に向けた第一歩として位置づけるべきである。
「9月1日」を単なる「問題」として捉えるのではなく、子どもたちの命と心、そして教員の働き方や制度の在り方を問い直す象徴的な日としてはどうか。この日を迎えるたびに、私たちは教育の本質に立ち返り、未来に向けた制度の再構築を真剣に考える。
教育とは、知識伝達の前に誰かを守ることから始まる営みである。その原点に立ち返るためにはまず、制度が人を守る構造でなければならないはずだ。

