2025年12月5日(金)

Wedge REPORT

2025年10月4日

 紀伊国屋書店の投稿削除に対し、SNSなどでは「言論統制だ」「排除してはいけない」といった声が出ている。こうした「キャンセル」騒動が起きるたび、オンライン上で賛否両論の大きな議論を呼ぶ。否定的な意見からは「検閲」「焚書」に喩える声もある。

 一方で、『おどろきの「クルド人問題」』をSNSで批判していた埼玉県鶴ヶ島市の福島恵美市議(無所属)は「紀伊国屋書店に求めたのは販売の禁止ではなく、『せめてヘイト本を宣伝しないで欲しい』というお願いです。これを『検閲』とするのは無理があります」とメディアの取材に答えている。

 また、「紀伊国屋書店に求めたのは、出版の差し止めや販売の中止ではなく、良識を持った宣伝です。(中略)重い社会的責任を負う紀伊国屋書店がポジティブな文脈で積極的に宣伝するような内容ではないと私は捉えています。『言論・出版の自由』を保障しながら、差別で社会を壊さないよう積極的な宣伝は抑制していただきたい」とも語った。

流通から追いやることにも

 「書店に求めたのは、出版の差し止めや販売の中止ではなく、良識を持った宣伝」という指摘には、看過できない盲点がある。

 第一に、書店は単なる「流通の一端」ではなく、読者にとっての「本との接点」そのものであるという点だ。どれほど優れた名著であっても、流通網から排除され、棚に並ばなければ、存在自体を知ることができない読者が大半を占める。

 出版社や著者が直販ルートを持つといっても、それは限られた情報感度の高い一部の層にしか届かない。現実には、書店こそが書籍の流通量と可視性をコントロールできる「ゲートキーパー」であり、まさに権力的な位置に立っている。

 第二に、書店が「批判的な帯を巻く」「仕入れを拒否する」「宣伝を抑制する」といった行為は、単なる意思表示を超えて、流通全体に波及効果をもたらす。特に業界内で注目度の高い書店や、言論的に影響力のある書店がこうした姿勢を取ること、それを強いる「キャンセル」に成功体験を与えることは、他の店舗や取次に対しても「取り扱うことはリスクだ」という強いメッセージとなり、結果的に自由な流通や言論を萎縮させる。形式上は強制力を伴わないとしても、同調圧力による実質的な検閲効果を生んでいる点は否定できない。

 第三に、書店が「表現の自由」を盾にして自己の行為を正当化するのは、一見もっともらしいが、実際には「批判する自由」を逸脱し、「他者の言論機会や知る権利を一方的に狭める自由」に転化している可能性がある。批判的な論評や対抗言論で応じることと、物理的な流通の場から排除することとは質的に異なる。後者は、読者が判断の機会すら持てないようにするという点で、むしろ表現の自由の理念を掘り崩す行為である。


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