少なからぬ人にとって、本と「偶然出逢える」可能性は書店の匙加減一つで大きく左右される。たとえば、こうした「社会正義」の恣意性にファクトを示し批判を呈した拙著『「正しさ」の商人 情報災害を広める風評被害者は誰か』(2022、徳間書店)の取扱にも通じる部分がある。本書はAmazonでは口コミなどを通じて部門ベストセラー1位を数カ月にわたって獲得し続け、電子書籍(Kindle)版は一時、全ての取扱書籍中4位の販売数まで記録した。
ところが本書は出版直後から、極一部の例外を除き書店には全くと言って良いほど並ばなかった。重版しても状況は全く変わらなかった。結局、ほとんどの書店には一切置かれないまま重版5刷という、出版元にとって前例が無い状況となった。続編の『「やさしさ」の免罪符 暴走する被害者意識と「社会正義」』(2024、徳間書店)も類似の状況にある。
もちろん、書店には独自の選書権限があるのは確かだ。しかし同時に、流通の結節点として読者の知識アクセスを大きく左右する社会的責任も負っている。その二面性を自覚しないまま「単なる自由な選択」と言い切ることは、影響力の大きさを過小評価している。
真に表現の自由を尊重するのであれば、批判的言説を併置する形で流通を担保するのが書店の公共的役割であり、流通を断つこと自体が「検閲」にも等しい権力的行使であることを直視すべきだろう。
テーマにより変わる批判の姿勢
クルド人やトランスジェンダーといった問題の複雑さを描こうとする書籍は、未読の段階から「差別的」と断定され、流通から実質的に排除される。その一方で、たとえば原子力災害に関わる福島への偏見差別問題はあまりにも対照的な現実がある。
原子力災害で社会には科学的根拠に基づかないデマや陰謀論が蔓延した。福島への差別をもたらしかねない本が書店にも図書館にも溢れたが、これらが「差別・ヘイト本」として批判されることはなかった。
たとえば数多くの書籍書評を載せ続け、多くの図書館や読書人から信頼されてきた「図書新聞」は、2023年8月のALPS処理水海洋放出から約半年後、「海洋汚染」が起きていないことを科学的に示されていたのにもかかわらず、「原発事故から13年に合わせ関連書の特集を予定しています。『復興』の掛け声のもと国の免責や汚染水の海洋放出などが進められ、被害はますます不可視化されています」と発信した。
こうした発信こそ、福島への偏見差別を招きかねないものだ。
福島に対するデマや陰謀論、偏見差別にはファクトチェック団体もほとんど検証がなされていない。それどころか、他の差別を問題視しながら福島への差別には加担したり、明らかなデマを含む書籍こそが評価され、権威・名誉あるジャーナリズムや出版・ファクトチェック関連の表彰を受けたケースさえ少なくない。
