もちろん、佐々木投手が自ら試行錯誤を繰り返したことが報われたという点も忘れてはならない。ヒル氏のアドバイスに加え、中日スポーツによれば、佐々木投手が9月8日、オクラホマシティのホテルの一室で大船渡高校時代の映像をチェックし、下半身の使い方のアイデアが生まれたという。佐々木投手は第4戦後、「自分の中でこれかなって思った時の、ホテルでのシーンかなと思います」と振り返っている。
「ミスター・オクトーバー」になれるか
ドジャースはこの間、メジャー1年目の新人に十分なリハビリ期間を用意し、再生への道をスタッフとともに探る時間を提供したことになる。
思い返せば、20球団が獲得に動いたと報じられたオフの熾烈な争奪戦の中で、佐々木投手が交渉球団に求めた重要項目の一つが「投手育成プログラムの詳細」だった。佐々木投手自身、メジャー移籍時には未完の状態であり、成長過程の中で試行錯誤の必要性をわかっていたのだろう。そして、ヒル氏の存在や、十分なリハビリ期間は、まさにドジャースが佐々木投手に求めていた環境ともいえる。
ドジャースにとっても、レギュラーシーズンの「我慢」が大きな見返りとなった。米メディアによれば、佐々木投手は、25歳ルールの適用もあって、契約金が650万ドル(約9億8200万円)。今季の年俸も最低保証の76万ドル(約1億1000万円)にすぎない。シーズンの大半を棒に振ったとはいえ、PSでの活躍で十分に巻き返している。
佐々木投手自身もその上で、ここからの戦いの重要性を肝に銘じている。
メディアから日米の違いを問われた際、「アメリカではポストシーズンでワールドチャンピオンになることが一番重要視されている」と答えた上で、「今年は(レギュラーシーズンでは)全然貢献できなかった分、 今年残されたシーズンで自分のできることをチームに貢献したいと思っていた」(MLB.COM )とやる気をみなぎらせた。
そんなメジャーのPSには、10月に活躍した選手の代名詞として「ミスター・オクトーバー」という称号がある。
元々は、メジャーを代表する強打者で知られたレジー・ジャクソン選手がヤンキース時代の1977年、くしくもドジャースとのワールドシリーズで大活躍をし、チームを15年ぶりのワールドシリーズ王者へ導いた際に付けられた異名だ。その後もポストシーズンで活躍した選手の代名詞として使われる。本来は打者由来だが、佐々木投手が躍動を続ければ、称号に匹敵する評価を得る可能性は十分にある。
