青淵は渋沢の雅号。鉄筋コンクリートとレンガ造りで、扉や窓は類焼を防ぐために鉄製となっている。1階を閲覧室、2階を書庫として設計されたものの、肝心の史料類が完成を前に関東大震災で焼けてしまう。中には貴重な書籍や史料が多く含まれていた。
渋沢は目的を変更し、大人数の客との懇談の場所として用いた。高い天井を支える柱には装飾タイルを張り、大きな窓の上部にはステンドグラスを入れた豪華な造りにしてあったから、オフィシャルな場所には恰好だったろう。2階への螺旋階段は美しいカーブを描き出している。多年の功労への深い敬意が、至る所に感じられるのだった。
渋沢の自叙伝に「米寿を迎えた喜び」と題する一節がある。来し方を駆け足で回顧しつつ、商業活動と道徳との合一を説く傍ら、還暦を過ぎた生き方として、自ら老いたりと考えて仕事を退くのは間違いであると書く。労働と節制と満足、これが健康、幸福、長寿の主因であると綴り、それができるなら90歳、あるいは100歳まで十分働けると力説する。時代を100年先取りする、けだし先見の明というべきか。
