「医師は通常、治療に〝正解〟が求められるが、産業医は主治医ではない。彼らに求められるのは、主治医・従業員・企業のハブとなり、労使双方が〝納得〟できる選択に導くことだ。そのためには、医学的知識や倫理に頼りすぎず、人事や経営者に理解や敬意をもって接することで、本人以外からの情報も取らなければならない。これには交渉や調整、コミュニケーションといったいわば〝文系力〟を養う必要があるだろう。
また、時には企業側と従業員側の意向が相反することもある。従業員にとって厳しい判断や、雇用主でもある経営陣に耳の痛い助言をするには、覚悟とともに双方からの信頼が不可欠だ」と続ける。
希望通りに休ませることだけが最適な選択とは限らない。休まずとも部署異動などによって改善されるケースもある。こうした判断は、主治医ではなく企業の内情に精通しうる産業医だからこそできることだ。
前出の神田橋氏は複数の企業で産業医として従事しているが、「産業医として何をしなければならないというのが明確に決まっていることの方が少ない。また、社歴の長い保健師の方が、人事や総務担当に対するアプローチがうまい場合も多い。職場を良くするチームの一員として、多職種とコミュニケーションをとることによって、それぞれの強みを生かしていくべきだ。業務範囲を縦割りにせず、ふわっと〝越境〟しあうのが理想だろう」と話す。
産業医と両輪になる
経営者の覚悟
前述の通り、産業医は50人以上の事業場に設置義務があるが、専属を求められるのは1000人以上の規模であり、それ未満は嘱託でよい。
「設置基準が事業場単位で全体の社員数ではないため、一定規模の企業であっても専属の産業医がいないグレーゾーンが生まれている。対策の一つとしてオンライン面談が積極的に導入されているが、現場巡視までオンライン化すれば、産業医業務は形骸化しかねない」と前出の佐藤氏は制度面の課題を指摘する。
28年までには、50人未満の事業場でもストレスチェックが義務化予定だ。「今後も産業医に求められる役割やカバー領域は広がる一方だろう。ただ、産業医が不在の事業場も少なくなく、地域による偏在も起きている。産業医だけで全てを担うことは現実的ではない」(同氏)。
こうした制度の限界を補う責任と権限は、企業を担う経営者にある。畑山弁護士は「様々な事例を見てきたが、メンタル不調の根本原因の多くは人間関係にある。不調者が出たらどうするかという対症療法ではなく、日々のコミュニケーションによって信頼関係を構築することが最も効果的で最大の予防だ」と話す。
従業員の健康に本気で向き合うのであれば、産業医の在り方を見直し、企業・従業員・主治医をつなぐハブとして機能させることが欠かせない。加えて、経営者にも働く環境を整える義務がある。ただし、従業員を守るとは、過度に配慮することではない。正しく権限を行使し、信頼される組織を築くことだ。産業医の専門性と経営者の覚悟が両輪となって初めて、健康経営は実を結ぶ。
