かつてのソ連でも、SFは目を見張るものがありました。『アンドロメダ星雲』のイワン・エフレーモフや、日本でも『ソラリス』で知られるポーランドのSF作家スタニスワフ・レムなど、共産圏のSFも見逃せません。
ただしソ連では、社会主義・共産主義革命によって社会体制は理想的とされていたため、それを批判すれば反逆的・反体制小説とみなされます。そのため、体制を肯定しつつ、例えばソ連が宇宙開発に乗り出した場合、宇宙でどんな困難に直面するかといった物語なら許容されるという制約があったのも事実です。エフレーモフはその象徴的な存在だったといえるでしょう。
人々を啓蒙した
天才SF作家・小松左京
では、日本のSF作家はどうでしょうか。私にとって、小松左京はやはり別格の存在です。
1973年に発表された代表作『日本沈没』では、日本列島が荒唐無稽に沈んでいくのではなく、当時の地球物理学におけるプレートテクトニクス理論を踏まえ、あくまでも科学的前提を確保した上で、壮大な文明論的大長編小説を組み上げました。そのために左京は科学者の見解に耳を傾け、最新の文献を読み込むなど、徹底的に勉強しています。そして、SF小説として人々を楽しませるとともに、大きな物語としてカタストロフ的に描き、未来に向けて日本人はいかに生きるべきかを問うたのです。
国があるのは当たり前、日本という国土があるのは当たり前――。誰もがそう考えていた時代、『日本沈没』は日本という島国で、日本語だけ話して閉じこもり、島国根性で生きている日本人から、国そのものを剥奪し、日本人を世界の諸大陸に散らして投げ出すという、左京が突き付けた究極の問いだったのです。
また、『首都消失』では、東京一極集中が進む日本において、これまで存在していた国家の中枢・東京が機能しなくなったらどうなるのかを描いています。
短編小説『アメリカの壁』では、ある時、突如としてアメリカが白い霧の「壁」に覆われ、外部との交通や通信が完全に遮断されます。これは、内に閉じこもろうとするアメリカの伝統的な「モンロー主義」を想起させると同時に、関税障壁という「壁」を設ける現代のトランプ大統領の姿を予言しているかのようです。
左京はカタストロフ物の天才作家であり、SF作品を通じて、日本人を啓蒙、あるいは鼓舞するという思想を持っていたといえるでしょう。
翻って現代社会は、南海トラフ巨大地震や地球温暖化、食料危機、さらには、きな臭さを増す国際情勢など、様々な危機が現実のものとして差し迫っています。偶発的な出来事で一触即発、不可逆な事態に発展するリスクは高まる一方です。
もはやSF作家が示さなくても、世界が直面している危機を誰もが想定できる時代になったといえます。
また、SFと純文学との境界も曖昧になりつつあります。古くは安部公房さんの例もありますが、最近では芥川賞を受賞した『コンビニ人間』などで知られる小説家の村田沙耶香さん、同じく芥川賞作家の上田岳弘さんの作品などは、ある意味でかなりSF的であるといえるのではないでしょうか。
1970年に大阪で開催された「日本万国博覧会」(70年万博)が象徴していますが、高度経済成長期の日本では、SF的なビジョンによって、政府も、財界も、大人も、子どももイマジネーションを育て、「未来はこう変わる」というポジティブな考えを育む〝装置〟が広範囲に起動していました。ところが、現代はその装置が喪失しつつあります。
