退院の報せ ― 身体が心を引き上げる瞬間
主治医から「退院が近い」と告げられた日の喜びは、何事にも代えがたい。完治ではなくても、リハビリを積めば体力は確実に戻ってくる。
“健全なる精神は健全なる肉体に宿る”――
この古い言葉の意味を、私は病院で再び学んだ。入院して20日で筋肉は急速に落ちた。栄養は点滴のみ、体重は8キロも減った。しかし、ドレーンが外れ、病院食に戻ると体が反応した。
リハビリを始めてからは少しずつ筋肉が戻り、歩くことの喜びを実感するようになった。最初はわずか200〜300歩。病棟の廊下をよろよろと歩くだけで息が上がった。それでも毎日欠かさず歩いた。
1週間ごとに歩数を増やし、1カ月後には2000歩、40日目には3000歩、そして50日目には4000歩まで到達した。薄暗い院内の通路を歩く時間は、実に孤独だった。だが、リハビリ室に通うようになり、少しずつ負荷を増やすと不思議と気力が湧いてきた。筋肉が付くと、精神が持ち上がる。リハビリは肉体だけでなく、心の再生である。
医師の視点から見た“うつ”の危険と救いの糸
主治医によれば、長期入院患者の1〜2割がうつ症状を呈するという。理由は、自由を奪われることと、社会的役割を失うことだ。人は「自分が誰か」を実感できない時、最も弱くなる。医師の立場から見れば、笑顔の消失、会話の減少、希望の放棄は危険信号である。
沈黙はSOSであり、放置すれば精神の深い谷へ落ちていく。幸い、私には毎晩の友人との会話があった。それが“沈黙の谷”を越える命綱となった。医師が身体を治すなら、友は心を治す。その両輪が揃ってこそ、真の回復が訪れる。
闘病の苦しみから救われる三つの方法
私が辿り着いた「救いの三原則」は次の通りである。
一、感謝を見つけること。
ナースの笑顔、家族のメール、友人の声。小さな優しさに「ありがとう」と言うだけで、心は少しずつ蘇る。
二、目的を持つこと。
「治る」ではなく「生きて表現する」ことを目標にした。書くこと、読むこと、語ること。それが日々の意味をつくった。
三、他者と繋がること。
孤立は最も危険な病である。声を出し、誰かと笑うこと。それこそが最高のリハビリである。
心と身体の再生 ― 56日の試練を越えて
退院の日、私は確信した。「この56日は、人生で最も静かで、最も濃い旅だった」と。孤独、痛み、衰弱、そして再生。そのすべてを経て、私は一回り強くなった。筋肉は戻り、心も蘇った。これから闘病を続ける人へ伝えたい。
病とは、終わりの物語ではない。心と身体を鍛え直す“再生の旅”である。孤独を癒すのは、テレビでも薬でもない。人の声、笑い、そして歩み――。それらこそが、生命のリズムを取り戻す力である。
