世界の鉄道事業者にとって、黄色は「注意喚起」を表す色である。ドクターイエローも夜間走行時に目立つよう、また駅停車中に客が誤って乗ろうとしないように黄色が採用された。
鉄道発祥の地である英国でもドクターイエローと同じような機能を持つ検測車が運用されているが、やはり車両全体が黄色く塗られている。その意味で、中国の検測車両が黄色く塗られているのは納得がいく。
ただ、英国の検測車は「フライングバナナ(空飛ぶバナナ)」と呼ばれているのに対し、中国の検測車は「黄医生」という愛称を持つ。日本語に直せば「黄色い医者」。色どころか愛称も同じ。ドクターイエローに対する敬意の表れとも取れそうだ。
どう生まれ、なぜ引退したのか
ここで、ドクターイエローの歴史について簡単に振り返ってみたい。東海道新幹線の開業当初、軌道状態の検測と電気関係設備の検測は別々の車両で行われていた。
電気関係設備の検測車(T1編成)は1963年に当時世界最高速度の時速256キロメートル(km)を記録した車両で、毎週1往復程度の運行をしていたが、軌道関係設備の検測車両(921形)は検測時の最高速度が時速160kmにとどまり、新幹線の営業速度を大きく下回っていたため昼間の走行には適さず、新幹線の営業運転が終了した深夜に走行して検測していた。
山陽新幹線の開業に合わせて74年に軌道設備と電気設備の検測を同時にできるT2編成が導入された。0系をベースに開発されたことから最高速度は0系と同じ時速210kmとなり、昼間の営業時間帯に運行することが可能となった。
79年にはほぼ同じ性能を持つT3編成が製造された。87年の国鉄分割・民営化に伴い、T2編成はJR東海、T3編成はJR西日本の所属となった。
92年に300系「のぞみ」が営業運転を開始すると、東海道新幹線の最高速度は時速270kmに引き上げられ、T2・T3編成の最高速度は営業列車運行上の制約となった。また、99年には0系が東海道新幹線から引退し、0系と共通の部品を使用するT2編成は部品交換を伴うメンテナンスに支障をきたしかねないという問題もあった。
こうした理由から、JR東海は99年に営業デビューした700系をベースに、時速270km走行が可能なT4編成を開発、01年に運用が始まった。さらに05年にはほぼ同仕様のT5編成をJR西日本が導入し、T4・T5編成の交互運用による東京〜博多間の相互検測体制が確立した。
これらT4・T5編成こそ、私たちがその姿や色をよく知っているドクターイエローである。なお、T4・T5編成の登場に合わせ、T2・T3編成は引退している。
