2026年3月10日(火)

解剖:「大きな政府」を好む日本

2026年3月9日

「国が救う」意識と中間組織

 震災後、日本では「国の責任」が前面に出るようになった。被災者支援に異論はない。しかし、その経験が「困難に直面すれば最終的に国家が面倒を見る」という期待を社会全体に広げたことも否定できない。

 国家の役割が強調されるほど、家族、地域、企業、NPOといった中間組織の役割は相対的に見えにくくなり、弱体化していく。その結果、震災から15年を経た現在、被災地以外でも「国家が救済主体として振る舞うべきだ」という期待が政策議論の前提になりつつある。これは単なる国民感情ではなく、歴史的経験の蓄積、復興税の運用の実態、危機時の国家の動員能力といった複数の要素が絡み合って形成された構造的現象である。

 その結果、人々はリスクに備え、相互に支え合う主体であるよりも、国家の支援を待つ存在へと傾く。国家への依存が強まれば、さらなる支出拡大が求められ、「大きな政府」を支持する声が自己増殖的に拡大する。この循環こそが、転位効果の社会的帰結でもある。

 今なお、震災関連の支援予算が存続しているという事実は、「大きな政府」が例外ではなく常態になりやすいことを示唆する。予算が残ること自体が問題なのではない。問題は、その存在が十分に検証されないまま当然視されがちな点にある。

 なぜまだ必要なのか、どこまでが復興で、どこからが別目的なのか――。こうした問いを共有できなければ、政府支出の膨張に歯止めはかからない。

 転位効果がもたらすのは、単なる財政規模の拡大ではない。より深刻なのは、国民の行動様式と価値観の変化である。

 国家が常に救済者として登場する社会では、個人や共同体がリスクに備え、相互に支え合う動機が弱まる。結果として国家への依存が強まり、「大きな政府」を求める声が自己増殖的に拡大する。

 東日本大震災は、連帯と共助の重要性も示した。だが15年を経た現在、その記憶が「国の支援」の記憶としてのみ残りつつあるのではないか。

災害の現場は様々な人の力で支えられた(RyuSeungil/gettyimages)

 あの時、現場を支えたのは行政だけではない。地域、企業、ボランティア、まさに中間組織の無数の自発的な行動があった。その多層的な支え合いを、どれだけ仕組みとして残せているかが問われている。


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