田舎町ランソンのホステルの一階は小学生向けの英語塾
11月12日。ランソンは1979年の中越戦争で中国の人民解放軍の攻撃により壊滅したが、現在は中国人観光客で賑わっている中国国境の長閑な町である。ハノイから長距離バスで移動してランソンに到着してからホステルを探して歩いた。ホステルの住所は●●英語アカデミーと看板があり子供たちが勉強しているのが見えた。
英語塾の先生らしき女性に聞くと、2階3階がホステルになっていると。そしてくだんの女性がなんとホステルの受付も兼任していた。
11月13日。ランソンのホステルにはドイツ人の年金生活おじさんが長逗留していた。暇で時間を持て余しているドイツおじさんは、子どもたちの格好の遊び相手として人気があった。日本人年金生活者もいるので、2階のラウンジでは常に数人の子どもたちが遊んでいた。子どもたちにとり、ドイツと日本の暇な老人は英会話の練習相手となった。そして欧米系の若いバックパッカーは概してフレンドリーであるから、ホステルは子どもたちが生きた英語を体験する絶好の場所となっていた。
田舎町ランソンの英語教育熱
ホステルの前の通りには200メートルくらいの距離の間に子ども向け英語教室が4カ所もあった。小学生の放課後の習い事として英会話はかなり一般的のようだ。
ホステルの近くの英語教室ではオーストラリア出身女子が教えていた。旅行資金を稼ぐために英語教師のアルバイトをしていたのだ。彼女によるとベトナムで一時的に英語教師のアルバイトをするバックパッカーは珍しくないようだ。
11月14日。ホステルの近くの食堂で夕食を食べていたら、食堂のオーナーの小学校4年生の長男が母親の運転するミニバイクに乗せられて帰って来た。どうやら英語教室の帰りらしく、母親が盛んに長男に筆者と英語を話すように促した。シャイな性格らしく長男は躊躇していたので「ハウ・アー・ユー」「お名前は」「何歳ですか」など簡単な定型的質問をすると一生懸命に返答した。
筆者が北京に駐在していた頃(今から十数年前のことであるが)にも、英語を習っている子どもと母親に遭遇して何度か同じような経験をしていたので、ベトナムでも中国同様の英語教育熱が広がっていることが想像できた。
少し横道に逸れるが、当時の北京には英語教育幼稚園が多数あったことを彷彿した。筆者の住んでいた北京中心部のアパートメントホテルの最上階に米国帰りのIT企業経営者の一家が住んでいた。奥さんは上海出身の元バレリーナであり1人息子はそうした英語教育幼稚園に通っていた。
さらに北京の一等地の先進的重点公立小学校には、英米人の教師が多数雇用されており英語の授業の他に算数・理科も英語で授業していた。そして夏休みには米国短期留学プログラムまで用意されていた。
小学校で児童に英語で質問攻めに、英語ができれば高収入が得られる?
11月19日。ベトナム北部の地方都市カオバンの小学校を訪問。おりしも下校時間で校庭に児童が溢れていた。外国人が珍しいのか、瞬く間に子どもたちに取り囲まれ英語で質問攻めにあった。積極的に英語で質問するだけの英会話力があるようだ。
校長室に案内してもらいお話を伺うと、小学校では英語は1週間に4コマ授業しているという。日本の小学校よりも英語の授業時間が多い。
11月20日。カオバンのホステルのオーナーの女将と話していたら、ベトナムではサラリーの高い外資系企業への就職が人気という。英語ができれば外資系企業への就職が有利となるし、海外への移住も可能となる。つまり英語力は豊かな人生への近道であると、フツウのベトナム人の親は信じているので、英語教育がブームになっているという。高校進学率が80%に近づいているベトナムでは、人並よりも抜きんでるためにはプラスアルファとして英語力が必要なのだろう。
ダナンの英語学校で事務員の英語力の高さにタジタジとなる
12月2日。ダナン市街を散策中に●●英語アカデミーと看板が出ていたので覗いてみた。受付には3人の女性がおり、1人から流暢な英語で用件を尋ねられた。「アカデミーの活動状況について伺いたいので、支配人が在籍していれば話を聞きたい」と適当に答えるとかなり流暢な英語で「もう少し具体的な用件を伺えば適切な担当を呼び出します」と。なんとか納得してもらい担当マネージャーを呼んでもらった。
女性マネージャーから話を聞いたところ、当該アカデミーは英国の教育機関と提携しており、ベトナム全土に十数カ所の英語学校を展開している大手であると判明した。生徒は海外と取引のあるベトナム企業の幹部社員、海外留学を目指す学生などらしい。大半は個人指導のようだ。日本の大手英会話学校と業態は同じようである。
