手順書はない
図面から立体を創り出す
岩上さんがチェンバロ作りを始めたのは1978年、浜松にある東海楽器に就職したのがきっかけだ。バロック音楽が好きで、高校を出た後、職業専門学校で木工工芸の基礎を身につけていた岩上さんは、木工作業が大半を占めるチェンバロ作りにうってつけの人材だった。
「小さい頃から木工が好きで、プラモデルもよく作ったけど物足りなくなっちゃって、高校の頃から本に載ってる図面を見てお城とかお寺を自分で作るようになったよね」
文具店でバルサやヒノキの板を買ってきては、カッターで縮尺通りに部品を切り出して精巧な模型を作り上げたというから、岩上さんは生粋の〝つくりびと〟であった。
85年に東海楽器からチェンバロ・バンジョー課が分離独立して創業した三創楽器は、海外から古いチェンバロの図面を取り寄せ、1000点を超える部品をすべて手作りしてチェンバロを組み上げている。
図面には寸法と材質が書いてあるだけで、製作の手順は書かれていない。自分で考えるしかない。お城やお寺の模型づくりと同じことだ。
「東海楽器の時代から、チェンバロの作り方を教えてくれる人なんていなかったからね。それに、川を散歩していてひらめきがあると、作業の手順をほいほい変えちゃうんだよ。結果がよければそれでいいわけだから、新しいやり方を試さない理由はないじゃない」
岩上さんの発想は、こちらが不安になるほど柔軟。その柔軟性は、材料の選択にもおよんでいる。
チェンバロには主にメイプル、ポプラ、オーク、スプルースなどの輸入材を使うが、輸入材が枯渇した時に備えて、岩上さんは国産のエゾマツやヒノキも使う。興味深いのは、撥弦楽器(弦を弾いて音を出す)であるチェンバロの命ともいえる、プレクトラム(爪)の材質だ。
「爪で弦を引っかいて音を出すわけだけど、最終工程でこの爪を削って音色と音量を調整して、どの鍵盤を押しても同じタッチになるように仕上げるわけ。いまは、折れにくくて柔らかすぎないデルリンという樹脂を使うけど、昔は鳥の羽根の軸を使った。寿命が短い難点があるけど、デルリンよりいい弾きをするね」
なんと、岩上さんが安間川の散歩の途中に拾い集めたカラスの羽根でプレクトラムを作ったチェンバロがあるという。そんなものを材料にしてしまっていいのだろうか?
しかし……。社員食堂に展示されているカラスの羽根を使ったチェンバロ、イングリッシュ・ヴァージナルの天板を開けると、それはもはや楽器というより宝石箱とでも呼びたくなる美しさである。鍵盤に触れると、きらびやかな音色が鳴り響いた。
