さらに20年以後、少数民族言語を用いた教育は、少数民族言語の読み書きを除いて(あるいは往々にしてそれすらも)全面的に禁止され、それに反対する南モンゴル(内モンゴル自治区)でのデモも鎮圧された。その代わりに少数民族は、「国家通用語言文字」と称される簡体字と北京語の世界に強制的に引き込まれている。
加えて習近平政権は、少数民族の就職における「内地」大都市への大規模な斡旋、鉄道・道路インフラのさらなる大々的な建設、そして観光業のいっそうの促進を通じて、「あたかもザクロの実がぎっしりと詰まっているかのように、漢族と少数民族が互いに嵌まり合う」方式による各民族の「交往・交流・交融」を徹底的に進めようとしている。
この「中華民族共同体意識の鋳牢」はもちろん、香港と台湾も例外ではない。
香港人意識の高揚による19年の大規模な運動を弾圧した中共は、香港においても愛国主義教育を徹底し、広東・マカオとの一体化による「大湾区」構想に組み込むことで、香港の人々に対しても「中華民族」としての喜びを周知徹底させようとしている。
台湾意識を掲げる民進党政権を強く威圧し、国民党を取り込んで様々な認知戦を展開することによって、台湾も中共が導く「中華民族共同体」の中で繁栄するのが歴史の潮流だと台湾の人々に信じ込ませようとしている。
以上「中華民族共同体」なるものの紆余曲折の歴史を踏まえれば、この法律は突然大上段から新たな規制をかけるというものではなく、むしろこれまでの中国ナショナリズムと習近平政治の総決算であり、「法執行」の名において一層厳しく統制をかけようとするものであることが分かる。
強まる国際的懸念
台湾の頼清徳総統は、このような「民族団結進歩促進法」について、「団結を名目として実際には同化と消滅を行う悪法」「域外への越境弾圧」と厳しく批判した(中央社、7月2日)。台湾の大陸委員会も「台湾人に強制的な統一という法的義務を課すもの」と強い警戒感を示している(同委員会公式HP、7月2日)。
また、世界各地で中共の圧制に対して抗議活動を続けている少数民族・香港・民主化運動関係者がこの法律を厳しく批判していることは言うまでもない。米国や欧州連合(EU)の報道官・議会も、習近平中国における人権弾圧のさらなる深刻化、そして域外適用がゆくゆくは国境を跨いだ弾圧に「法的根拠」を与え恒常化させる可能性に対して強い懸念を示している(ロイター、7月2日)。
日本国内でも6月30日、「中国による人権侵害を究明し行動する議員連盟」など4つの超党派議員連盟が本法をめぐり、少数民族の言語や文化の危機、そして日本国内にいる中国出身者の弾圧につながり、民主主義国家として到底容認できないとして強い抗議を示した。筆者も、この問題は日本としても到底座視すべきものではないと考える。
そもそもこの法律の域外適用として、日本における取締の可能性に言及することは、それ自体が日本の国家主権に対する著しい侵害である。
日本の歴史は、中華文明の成果を取捨選択しつつも決して中華文明の一部分にはならず、あくまで独自の視点から中華文明の盛衰を眺め続ける。しかしこの法律は、中華文明と中国史について「外部勢力」が勝手な解釈をすることを許さず、今後は中共が提供する言説を完全に受け容れよと迫るものであり、自己検閲と中国への忖度を強いることで、外国における表現の自由や思想・良心の自由を強く制約しようとするものである。それはすなわち、日本の中国研究・中国報道の伝統を危機に陥れようとするものであるだけでなく、日本国憲法に基づく自由で開かれた社会に対する根本的な挑戦でもある。
ゆえに、この民族団結進歩促進法に対して日本社会全体としてどのような立場をとるのかという問題は、今後の日本社会のあり方をも多大に左右することになる。とりわけ、日本社会一般の中国への萎縮を避けるためにも、政治レベルで明確な判断をすることが期待されるし、日本の判断を諸外国が注視していることを忘れるべきではないだろう。

