2026年7月24日(金)

解剖:「大きな政府」を好む日本

2026年7月24日

問題は積極財政ではなく「責任」の曖昧さである

 高市内閣の問題は、積極財政を掲げたこと自体にあるのではない。人口減少、供給力不足、エネルギー安全保障、経済安全保障、インフラ老朽化が同時に進む日本で、政府が将来への投資をまったく行わないこともまた、国家の信用を損なう。問題は、積極財政を正当化するための制度的な歯止め、投資効果の検証、財源の説明、日銀との距離感が十分に明確でないことである。

 とりわけ厳しく問われるべきは、「成長すれば債務比率は下がる」という上げ潮型の楽観である。債務残高対GDP比を中核指標にすることは、理論的には間違っていない。しかし、それは名目成長だけでなく実質成長率が安定的に高まり、金利上昇を上回る成長が実現し、かつ支出が将来の税収基盤を拡大する場合に限って有効である。成長投資と称する支出が、実際には既得権益向けの補助金や選挙対策に化けるなら、債務比率目標は財政規律ではなく、財政膨張の口実になってしまう。

 この点で、高市内閣の「責任ある積極財政」は、まだ十分に制度化されていない。「責任ある」という言葉は便利である。しかし、何をもって責任とするのかが不明確であれば、それは単なる政治的修辞にとどまる。

 市場が問うのは、政府の気分ではなく、ルールである。財政拡張をするなら、その支出がどのような経路で成長力を高め、税収を増やし、債務比率を安定的に低下させるのかを、検証可能な形で示さなければならない。

高市内閣に求められる厳格な説明責任

 したがって、高市内閣に必要なのは、責任の中身を制度化することである。

 どの支出を成長投資と呼ぶのか。その投資は何年後にどの経路で潜在成長率や税収を高めるのか。事後評価で効果が乏しい事業は自動的に廃止されるのか。財源なき恒久減税を行わない原則はあるのか。日銀の金融政策に政治が口を出さないという線引きは守られるのか。これらを曖昧にしたままでは、市場は高市財政を信認しない。

 財政運営の新しい指標を掲げるなら、その指標が政治的便宜で動かされない仕組みも同時に示さなければならない。債務残高対GDP比を重視するのであれば、成長率、金利、歳出増、税収見通しの前提を透明に開示し、楽観シナリオだけでなく慎重シナリオも示す必要がある。投資枠を設けるのであれば、通常歳出との境界を厳密にし、効果検証のない事業を「成長投資」の名で温存してはならない。

 とりわけ、上限のない投資枠は危うい。真に供給力を高める投資であれば、長期的な財政健全化に資する可能性はある。しかし、政治的に見栄えのよい事業、業界団体への配慮、地方へのばらまきが「成長投資」の名で紛れ込めば、市場はそれを見抜く。

 財政規律は、支出を減らすことだけではない。支出の質を峻別することでもある。

市場信認と生活信認は同じではない

 ただし、イタリアの事例が教えるのは、単に市場を見ればよいということではない。国債市場が平穏であっても、物価上昇が家計を侵食し、賃金や給付がそれに追いつかなければ、国民は実質的な「インフレ税」を負担させられることになる。

 税率を上げなくても、食料、光熱費、家賃、日用品の価格が上がれば、可処分所得は目減りする。特に預貯金が乏しく、価格上昇分を賃上げや資産所得で吸収できない世帯ほど、その負担は重くなる。

 この点は、厚生労働省の国民生活基礎調査にも表れている。25年調査では、1世帯当たり平均所得金額は575万2000円となり、前回調査の545万7000円から増加した。所得の対前年増減率も7.3%と、調査開始以来最大であった。

 にもかかわらず、生活意識が、「大変苦しい」と「やや苦しい」を合計した「苦しい」と答えた世帯は51.3%から55.4%に上昇している。名目所得が増えても、物価上昇の影響などを背景に、半数を超える世帯は生活の改善を実感していないのである。


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